1月にハイチを襲った大地震は、これまで関心の対象となることがほとんどなかったこの国の貧困の実態を世界中に知らしめるものとなった。

被災したハイチでも見られた欧米の上から目線

地震前のハイチの首都ポルトープランス。街の真ん中にもゴミの山が

 被災後の混乱の中、孤児になったとされる子供たちを無断で国外へ連れ出そうとした米国の慈善団体に、誘拐、人身売買の嫌疑がかけられ、改めて社会基盤の脆弱さ、そして欧米諸国の途上国に対する「上から目線」を再認識させられることにもなった。

 ただ、地震前も、首都ポルトープランスなど、街の真ん中にゴミの山はあるし、明らかにハイチ人ではないと分かる私のような者が歩いていると、たかりの若者がすぐに寄ってくるような状況で、夜間外出するのは相当な勇気か準備が必要なほどに治安は悪かった。

 度重なる政変や天災、そして何よりも自律的な基幹産業が存在しないことから蔓延する貧困がそのすべての原因だが、それゆえに奴隷的労働を無理強いされる人々も数多くいるという問題もあった。

 奴隷制度は古くから多くの社会の繁栄を陰で支えてきた。古代世界において、ギリシャの民主主義も、ローマ帝国の長年の安定も、奴隷という下働きの人々がいて初めて成立するものであった。

 しかし、その頃の奴隷といえば、借財のある市民や戦争捕虜のような者たちが主体で、『ベン・ハー』(1959)のユダヤ人貴族の主人公のごとく、政治的理由や経済的理由による没落貴族というものも多く含まれ、我々のイメージするものとは少々異なるものでもあった。

米国よりもカリブやブラジルに多かったアフリカからの奴隷

 大航海時代が幕開き、「新世界」に巨大なるプランテーションを大国が開園するようになり、安価な労働力が大量に必要となると、当然のごとく現地住民をこき使うことから始められた。その激務に加え、ヨーロッパ人が持ち込んだ病原体に免疫のない彼らはあっさりと全滅してしまい、その補充としてアフリカ人を奴隷として導入するようになっていくのだった。

 我々が奴隷というものを想像する時、まず思いつくのはそんな時代の米国南部のプランテーションである。しかし、意外にもそれは全体のせいぜい2割程度にすぎず、ハイチのあるイスパニョーラ島をはじめとしたカリブの島々やブラジルに連れてこられた者の方が実ははるかに多かった。

 そんな話は我々日本人にはあまりなじみのないものだが、南部出身の第43代米国大統領ジョージ・W・ブッシュ氏にもなじみはなかったようで、ブラジルで首脳会談を行った際、「ブラジルにも黒人はいるんですか」と訊いたという逸話も伝わってきている。

 奴隷制度を語る時、どうしても欧米諸国の奴隷商人たちの悪意ばかりが強調されがちだが、アフリカの部族対立を利用して、奴隷狩りをいくつかの部族に委託していたという事実も忘れるわけにはいかない。