筆者が担当した前回のコラム「ネットワークが人生を変える」では、人や組織にとってネットワークの作り方が成功と失敗を分ける重要なカギとなることを述べた。

 今回はその続編として、実在する一個人の人生遍歴を最新のネットワーク理論で斬ると、何が見えるかについて論じる。

 登場するのは、クラシック音楽に新たな響きと感動を呼び起こさせるピアニスト、松本あすかである。若手ではあるが、その半生は成功と失敗が入り混じり、波乱に富んでいる。一個人のネットワーク形成が、いかにアーティストの活動や作品に影響を及ぼすかを観察する格好のサンプルと言えよう。(文中敬称略)

「近所づきあい」だけの世界から逃げ出した

 松本あすか(公式サイトはこちら)は、輝かしい経歴を誇る。3歳からピアノの英才教育を受け、6歳でピティナ・ピアノコンペティション・ヤング部門(全日本ピアノ指導者協会主催)で全国優勝。7歳で伊モーツァルト国際コンクール3位入賞。17歳でピティナ・ピアノコンペティション・コンチェルト部門全国優勝。

 幼少期から、海外の演奏旅行にもよく出かけた。食事と勉強以外、ピアノ漬けの日々。華々しい経歴の裏には、ごく狭い範囲の「近所づきあい」と、学友からかけ離れた過酷な練習の毎日があった。

 ピアノで評価を受けても、通学する普通中学・高校の友人の話題についていけない。はたして、これは自分で選んだ道だったのか。もっとほかの生き方はなかったのか。

 高3の冬、家出した。それまでの「恵まれた環境」への反逆。幼少期からのお仕着せへの謀反。もうピアノなんてやめてやると内心叫んで、自分探しのため出奔した。

「自由」と「遠距離交際」の日々が始まる

 クラシックピアノはやめる、音大にも行かないと決めて、2週間後、家に戻った。次の行き先に選んだのは、ジャズ、ポップスなど広い音楽ジャンルを学ぶことのできる渋谷の大手専門学校だった。クラシックと違い、音符がほとんどないジャズやポップスの演奏様式。そこは真逆の世界だった。

 苦労は多かったが、「自由」と新たな「遠距離交際」の日々は、未知の音楽仲間のコミュニティーへと幅広くつながっていった。

 パンクロック、J-ポップ、ジャズ。多くのバンド仲間とその友人、そして、そのまた知人グループといった具合に、交流の輪が急速に広がる。彼らとセッションし、路上ライブもやった。誘われて、作詞、作曲、編曲、スタジオ録音、ライブ出演、また、モデルの仕事も始めた。やがて、腕前を買われて、マイナーレーベルからCDデビューも果たした。

「放浪」が終わり、返り咲く

 そして、5年間の「放浪」は終わる。23歳の時、松本あすかは3歳から18歳までピアノを師事したA先生に電話して、クラシックの世界に戻った。が、そこでは、A先生が用意していたロシアのカプースチン作曲の途方もない難曲が彼女を待っていた。