1 概 要
10月16日航空観閲式(百里基地)において観閲官である野田佳彦総理は参列した部隊を前に南スーダンPKO(国連平和維持活動)への参加を表明した。
PKO派遣については1992年の国連カンボジアPKO(UNTAC)への初めての派遣から、その都度国会の争点として与野党の論戦の的になってきたことは記憶に新しい。
現在において国民の多くの支持を得ていることから、単に派遣を決定するだけでは武器使用などの極めて重要な課題を失念していると言えよう。まさに画龍点睛を欠くである。
1996年2月、当時在エジプト日本大使館防衛駐在官であった私は、時の与党3党・自社さの村山富市政権が初めて中東イスラエルとシリアの国境に展開する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への我が国参加の可能性を調査する政府与党調査団を派遣した時のことを思い出す。
外務省からの調査団の随行員としてシリアへ応援出張を命じられ現地調整を幾度か行い、社会党の早川勝調査団長はじめ自民党大野功統議員、中谷元議員、森田健作議員、さきがけからは当選間もない現与党民主党前原誠司議員ら8人の調査団の到着を待った。
当時UNDOF司令官は我が国の参加に懐疑的なオランダ陸軍コステルス少将である。その理由は、日本の武器使用基準が国連スタンダードであるいわゆるBタイプの武器使用(任務達成のための武器使用)を認めていないことを事前にニューヨーク国連本部から知らされていた。
すなわち、我が国の武器使用は憲法が禁止している集団的自衛権行使と解釈されていた。調査団一行は、司令官訪問予定時間を大幅に遅れシリア側のキャンプファウアールに所在するUNDOF司令部玄関に到着する。
生粋の軍人堅気と見られるコステルス司令官が開口一番「日本調査団にバーベキューの昼食を準備していたが、冷めてしまったので捨てた」との冷たい言葉の洗礼を受けた。
事後司令部内でUNDOF部隊のブリーフィングを受け、最後に司令官の言葉が日本のUNDOF参加へ冷や水をかけるような次の強烈な一言があった。
武器使用が国連スタンダードでなければ司令官として「UNDOFに制服を着たシビリアン(文官)は必要ない!」。
この強烈な言葉に、同席した後藤シリア大使の表情が厳しくなった。調査団議員への通訳がコステルス司令官の結言を伝えたところ社会党議員の1人は机を叩き、随員の大使館員に「車を回せ、帰る!」との騒動に、元々派遣には不同意であったためなのか。
この場にいた自社さ8人の国会議員は国際社会におけるPKO参加・派遣条件のハードルの高さを垣間見たものと思う。
現与党前原誠司政調会長もその現場に遭遇し、真剣に我が国が国連PKOに参加する場合の大きな問題点として武器使用基準を速やかに国連スタンダードBタイプにしなければ国際社会で和平を構築するという目的にかなわないと痛感したはずである。
しかし、あれから16年の月日が経つがどうか。16年目を迎えたゴランPKO第31次隊43人が派遣され引き継がれている。
さらには1992年UNTAC(国連カンボジア暫定機構)派遣から19年が経つが、PKO派遣5原則のままに、武器の使用基準が現場の隊員の立場になって見直されつつあるが、いまだに国連標準いわゆるBタイプの武器使用は我が国では認められていない。
このような中、2007年国際平和協力活動等の本来任務化を果たしたことのみ記憶に新しい。
現在、ゴラン高原UNDOF(45人)のほか、国連ハイチ安定化ミッション(350人)、ジブチ派遣海賊対処航空隊(陸海250人)へも部隊派遣が行われ、またスーダン、ネパール、東チモールの個人派遣等がなされているところである。
10月16日、航空観閲式で、観閲官でもありまた最高指揮官でもある野田佳彦総理の訓示に「南スーダンPKOへの部隊派遣は国際社会から信頼、尊敬される国になるためには一層取り組む」とあった。
これまで、我が国のPKO、国際協力活動などの現場はまさに薄氷を踏む思いで部隊を送り出し、19年間、1発の銃弾を撃つことなくかつ1人の殉職者を出すことなく今日までこられたのは、幸運の連続と派遣自衛官の涙ぐましい真摯な努力のみにすがってきたのである。
それゆえ今後も引き続き、隊員の努力のみに頼ることには限界があうことから、国際社会からの期待に応えられるよう武器使用に関する法整備を早急に行うことを期待したい。派遣される自衛官の気持ちを代弁するものである。
実際、国際社会から見た我が国の武器使用問題を巡る法律論議が奇異な現象であると見られていることは否めない。こうした政治の曖昧さを持ったまま南スーダンPKOへ参加する隊員の皆さんが現地で自信を持って任務を遂行する基盤をつくるのが政府の役目であろう。
私は2009年6月アフリカPKOセミナーにメンターとして招聘された際に、国際平和協力活動派遣に関し、日本国として明確な判断基準(CRITERIA)設定の必要性について痛感し、本稿の最後にその私見を述べる。