2009年はハルハ河戦争、いわゆるノモンハン事件から70周年に当たる。8月26日、モンゴルの首都ウランバートルで開催された戦勝記念式典には、ドミトリー・メドベージェフ大統領が参加し、モンゴルとロシアの変わらない友好の絆を確かめ合った。
メドベージェフ大統領のモンゴル訪問
この訪問は単に歴史的な絆を再確認するだけのものではなかった。実は、メドベージェフ大統領は、ロシアの鉄道、農業開発、原子力関連企業のトップをはじめとして、ロシア語とロシア文化普及関係者まで大勢を引き連れてウランバートルにやって来ていたのだ。
ロシアにモンゴルと多方面での協力関係を打ち立てようとの狙いがあるのは明らかだった。
戦勝式典の前日には協力、援助に関する文書の調印式の様子がテレビで生中継されるなど両国間の良好な関係をアピールした。
隣国でありながら以前ほどの活発な交流が見られなくなっていたモンゴルとロシア関係は、ここ数年、急速に改善されつつある。
変化の立役者となったのが、実務派と呼ばれるサンジャー・バヤル首相である。2007年11月、バヤル氏が首相に選出されて以来、ロシアとの関係は日に日に良好になっていった。
バヤル首相が登場するまで、モンゴルの政治は空転状態を続けていた。2004年の国家大会議の選挙の結果、人民革命党、民主連合の2大勢力が同数で議席を分け合い、お互いが与党となる大連合政府を成立させたものの、お互いの足を引っ張り合っていたからである。
バヤル氏は国家が危機的な状況にあるとして両派に協力を求めた。2008年の選挙において首相の帰属政党である人民革命党が圧勝した後も、両派に公平に大臣の席を分配し、挙国一致内閣さながらの体制を作り上げた。
1956年生まれのバヤル氏は、モスクワ大学を卒業した。2001年から2005年まで在ロシア大使を務め、ロシアに多くの知己を持っている。首相になってからは、2008年、2009年とロシアを頻繁に訪問し、多くの援助、協力の約束をロシアから取りつけた。ロシア寄りの政策がはっきりと打ち出され、5月にはプーチン首相もモンゴルを訪問している。