目の前で起きている光景は、「政権交代」というより「革命」に近い。

霞が関で「人民裁判」(中野哲也撮影)

 これまでなら面会すら容易に叶わなかった中央省庁の局長らを相手取り、市役所の職員や学者が「何でこんなことを国がやらなくちゃいけないんですか!」などと批判を展開し、百億円単位の予算を次から次へと切っていく。

 仕分け人の追及に対し、時には屈辱を噛みしめながらも「おっしゃる通りです」とへりくだる高級官僚たち。当の官僚たちが恨みを込めて「公開処刑」とも「人民裁判」とも呼ぶ、行政刷新会議の事業仕分けはこうして進んでいった。

 政権交代が起こらなければ、決して実現しなかったであろう。この急進的な政策にはどういう意義があるのか。どう生かすべきなのか。現場からの報告とともに考えてみたい。

異例尽くめのプロセス、スリリングな「仕分け」議論

 事業仕分けの仕組みを簡単におさらいしておこう。「仕分け人」となる民主党の議員(蓮舫参院議員らがここに含まれる)と、地方自治体などの有識者が常時10人程度出席する。

 予算を要求する省庁からは局長級が出てきて冒頭10分程度、各事業の意義や必要性を説明する。その後、財務省の担当主計官が「なぜその事業の必要性が低いか」といった簡単な意見陳述を行う(刑事裁判の検察側冒頭陳述に似ていなくもない)。

 次いで仕分け人が40~50分間、省庁側に疑問をぶつける。最後に、その事業についてそれぞれ「廃止」「予算縮減」「自治体の判断に任せる(=自治体がどうしても必要と判断するなら、自治体予算でやってもらう)」といった意見を評価シートに書き込んで評決する。

 作業は3つのグループに分かれて進められ、約400の事業を9日間かけて仕分けする。ちなみに3日目を終えた2009年11月13日夜現在、無傷で残った事業は1つしかない。

 何の権限も持たない民間人が政府予算について「要不要」の判断を下すのも異例なら、すべての議論を現場やネットで公開するのも異例中の異例だ。