ロンドンの街角に、画面を外すとタブレット端末としても使えるパソコンの広告があった。もはや、パソコンとかモバイルなどと機器を区別する必要はないのだろうか。そんな機器群に、映画も小説もテレビ番組も、デジタルに処理され区別なく配信される。
境界のないデジタル機器を流転するコンテンツ
この広告を見て思い浮かべたのは、2万店の家電店網を水道に見立て、テレビや冷蔵庫を蛇口から水が流れ出るように社会に供給する松下幸之助の「水道哲学」だ。
20代の頃、家電の地域販売会社(販社)の合展と呼ばれる内覧会にお邪魔しては、WOWOW契約を販売していた。地域のパパママショップとメーカー販社が一体となる現場は、売るというより商品を流すという感じだったか。
30年前大量生産される電化製品に使われた水のメタファーは、現在のデジタルコンテンツにもあてはまるだろうか。水のように流転するコンテンツを家電網のようにビジネス化するモデルはあるのか。
映像ビジネスを、制作、流通と2つのセクターに分けて考えてみよう。
コンテンツの水道~パイプライン
ハリウッドの映画会社は、劇場チェーン、DVD販売、そしてケーブルテレビなどのコンテンツ販売網を「パイプライン」と呼んだ。コンテンツをそのパイプラインに流せば利益が入ってくるという意味だ。
1980年代のケーブルテレビ、90年代の衛星放送と新たなテクノロジーが生まれ、メディアが増えるたびに、ハリウッドの映画会社の「パイプライン」は成長した。
しかし、今そのパイプラインからの収益が、伸び悩んでいる。米国映画の劇場収入はここ10年、10億ドルで横ばいだ。DVD市場は2007年から減少している。
さらに、米メディア企業の利益の源泉であるケーブルテレビは、月額利用料が格安のインターネット配信サイトが増え、米国のケーブルテレビ市場全体の加入者は1995年と同じレベルに減ってしまった。
そんななか、利用者が増えるインターネットを、メディアとしてパイプラインに取り込めば、新たな収益源となる。
この10年間、米メディア企業はその取り込みに試行錯誤を繰り返した。
人の集まるメディアとしてAOLやマイスペースなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を買収し、ユーチューブの対抗馬として先頃日本でもサービスを開始したHulu(フールー)という無料のテレビ番組配信サイトを開始した。