食い意地が張っているせいか、おいしい食べ物が登場する物語が大好きだ。活字で描写されている料理の手順を頭の中で再現しながら、漂ってくる香り、鍋がたぎる音、美しい彩りを思い浮かべると、電車の中でも、歯医者の待合室でさえも、元気が湧いてくる。
お江戸神田の御台所町(現在の東京都千代田区外神田、JR御茶ノ水駅近辺)の蕎麦屋・つる家で腕を振るう澪を主人公にした『八朔の雪』『花散らしの雨』は、数ある「おいしそうな小説」の中でも、最上級の三つ星クラスだ。
澪は大阪の生まれ。幼い頃に水害で両親を失い、町をふらついているところを、料理屋・天満一兆庵の女将・お芳に拾われる。味覚の鋭さを見込まれ、いよいよ料理の修業が始まろうとした矢先、一兆庵は貰い火で焼失してしまう。頼りの江戸店にたどりついたものの若旦那は行方知れず――。
次々と不運に見舞われるが、それでも、健気にまっすぐに生きる澪の人柄に惚れこんだつる家の主人・種市に請われて、本格的な料理人として人生を歩み始める。
薄味好みで昆布出汁の上方と、濃い口醤油で鰹出汁の江戸の味付け。食文化の違いに苦しみながらも、周囲の温かな人たちに助けられ、江戸の人にも受け入れられる澪の味を作りだしていく。「おいしい料理でお客さんを喜ばせたい」――その一心で、澪が工夫を重ねて編み出した数々の料理は、つる家の客たちだけでなく、物語を読む私たちの気持ちまでホッと癒やしてくれる。
出汁がらの鰹節を利用し、鷹の爪でアクセントをつけた「ぴりから鰹田麩」、昆布と鰹の両方のうま味を活かした「とろとろ茶椀蒸し」、澪の作る料理はどれも魅力的だ。中でも、『花散らしの雨』に登場する、蓬と雪ノ下の天ぷら、蕗ごはんの描写には参った。天ぷらのサクッとした食感、春の野菜特有のほんのりとした苦味とえぐみまでもが口の奥の方に蘇ってきて、お腹がグーと鳴りそうになった。
そして、お腹が空く小説をもう1冊。『植物図鑑』(有川浩著、角川書店)は、今どきのOLと雑草マニアの青年との奇妙な同居生活を描いた物語。お伽話のような純愛は軽く読み飛ばすとしても、ツクシのお浸し、ノイチゴのジャム、ノビルのパスタ――雑草青年が河原や道端で見つけてくる野草を使って作る手料理にも、旬の香りと相手を喜ばせたいという気持ちが溢れていて、嬉しくなる。
コンビニやファストフードに行けば、ほんの数百円でとりあえずの空腹は満たせる。でも、『八朔の雪』や『植物図鑑』を読むと、旬を大切にして、ひと手間かけた料理が猛烈に食べたくなる。著者は、そんな読み手の気持ちをお見通しなのだろう、いずれの本にも、物語に登場する料理のレシピが紹介されている。週末読書でリフレッシュした後は、週末料理で心を満たすのもいい。
(編集部・貝田が偏った趣味と独断に基づき、毎週末、おススメ本を紹介します)