若者たちが怒りをあらわにしている。「革命」成功後のエジプトでも、抑圧が続くシリアでも、マレーシア、中国、マラウィ、そして世界中に衝撃を与えたロンドンでも。

 どんな社会に属し、どんな理由からの行動であるにせよ、デモを続け暴力的行為にまで走る若者たちの姿は、解き放ちようもなく鬱積した怒りのエネルギーに満ちている。

1958年に起きたロンドン暴動

ウェストミンスター宮殿 現在英国議会が議事堂として使っている

 1958年9月、今では洒落たブティックでロンドンの中でも人気の高いノッティング・ヒルで暴動が起きた。

 ジャマイカ系住民に対する嫌がらせに始まり、扇動された労働者階級の白人たちが暴徒と化したのだった。

 それに先立つ8月には、ロビン・フッドで有名なイングランド中心部の都市ノッティンガムでも同様の暴動が起きている。

 第2次世界大戦後、アジア、アフリカで次々と植民地が独立、大英帝国は消滅し、英国は縮小を続けた。戦勝国であったにもかかわらず、最強国の地位を米国に奪われ、こぢんまりとした福祉国家へと変わりつつあった。

 そうした状況下、伝統的階級社会の垣根が低くなり流動性が生まれることで、富の再配分にも変化が訪れるのでは、という期待も高まっていた。

 しかし、思ったほどの恩恵はなく、ハロルド・マクミラン保守党政権はなすすべもなく、失業は広がるばかり。若者たちは怒り、そして落胆していた。

 1950年代終わり、そんな若者たちが伝統社会への叛逆そして離脱を試みる姿を描く小説が英文壇を席捲、早速映画化もされていた。

 「怒れる若者たち(Angry young men)」と呼ばれるそのムーブメントの一作『怒りをこめて振り返れ』(1959/日本劇場未公開)の主人公は労働者階級の出身。福祉政策の恩恵で、三流大学なら行けるようになった。