私が新聞社に勤めていた時の話である。週に1回ほどのペースで本社の「泊まり」が回ってくる。昼勤を終えて午後6時頃、本社の社会部デスク席につく。そのまま午前2時前後の朝刊最終版締め切りまで「デスク」(社会部の次長。入社年次20年前後)の横に座って朝刊をつくる内勤仕事の手伝いをするのだ。

 デスクは取材のコントロールセンターであり、紙面にミスがないかを点検するゴールキーパーでもある。事件の第一報が飛び込んでくると、まず一番に飛び出すのが当時の私のような下っ端の仕事だった。そしてその夜はそのまま帰宅せずに会社の「カイコ棚」(宿直室の2段ベッド)で寝る。

 デスクの座っている机の横に、月単位のでかいカレンダーが貼ってあった。月に何日か大きな赤いマルが記してあった。それは何ですか、と聞くと「××事件があった日。『あれから何年』って記事が来るからその日はラクだぞ」とデスクはにやりと笑った。

 事件の多い日は忙しくて大変なのだが、そんな日はそうそうないし、事前に予測がつかない。事件がない、ひまネタのストックがない日の紙面をつくることの方が頻度は多い。

 しかも、大変だ。紙面が「埋まら」ないのだ。土曜日や月曜日の午前中に紙面をつくる夕刊担当デスクは「胃が痛い」(役所や企業が稼働していないから)とよく聞かされた。だから「あれから何年もの」の出稿があるとあらかじめ分かっていると、デスクはストレスが少ない。

思索を深めるための記事がいつの間にか自己目的化

 このデスク席の思い出があるので、私は「X事件からn年」式の記事を「カレンダー記事」と呼んでいる。「あれから何年もの」と言う人もいた。

 「P月Q日」が来ると、限りなく定形に近い記事が出稿される。文字部分はあらかじめ書いてデスクに渡しておく。これを「予定稿」と呼ぶ。当日は、予定通りに事実が運ぶのを確認して、デスクに「予定稿解除してください」と伝える。当日動くのは写真を撮るカメラ記者と、現場雑感や談話を書き足す記者(大体いちばん若い記者)だけだったりすることが多い。

 戦後、カレンダー記事の元祖になったのは、言うまでもなく8月15日(終戦記念日)と8月6日、9日の「ヒロシマ・ナガサキ」の日だ。「日本の敗戦」や「原爆投下」という世界史的な事件なら、内容に議論の余地はあるとしても、何かの記事が出ていること自体は分からないでもない。