昨年夏、世界中に衝撃を与えたグルジア紛争に関するEUの報告書がまとまり、関係各国で話題になっている。
一方、この紛争後に地域で出てきた新しい動きの筆頭といえば、トルコとアルメニアの国交正常化交渉の開始であろう。日本では注目度が必ずしも高くないが、話し合いが成功すれば、長期間にわたって地域秩序安定のために大きく寄与する可能性がある。
前稿「歴史を超えたロシアとトルコの急接近」の中でも述べたように、地域大国としての新たに台頭しつつある要注目国家トルコ共和国が打った新たな布石がアルメニア共和国との「歴史的和解」であるが、日本ではそもそも何が「歴史的」なのか認識度も低いと思われる。
グルジア紛争後の新たな動き
今年(2009年)4月、トルコとアルメニアが国交正常化交渉で合意という大きなニュースが飛び込んできた。唐突な発表に識者すら戸惑いの声を上げたが、どうやら事態は大きく動こうとしている。
グルジア紛争直後の2008年9月6日にワールドカップ予選試合の観戦を口実としたトルコのアブドゥラー・ギュル大統領のアルメニア訪問で始まった「サッカー外交」は、今年8月31日には6週間以内での合意を目指すことを打ち出した。
どうやら10月14日に今度はトルコで再び予定されているワールドカップ予選試合におけるアルメニアのセルジュ・サルグシャン大統領の観戦までに合意を目指しているようだ。このサッカー外交の結果は、予定通りなら来週にもその全容が明らかになる(現時点の報道では、国境を開くことと、歴史認識を巡る政府間委員会の設置が見込まれている)。
今回の動きが昨年のグルジア紛争後に急展開を見せているのは決して偶然ではない。コーカサス山脈を越えて再び橋頭堡を築いたロシアに対し、各国とも新たな対応を求められている。これまでロシアと距離を保ってきたアゼルバイジャンはロシアとの関係修復を模索し、アルメニアはむしろロシア頼みの外交の変換を迫られている。
まさにこうしたシフトチェンジの1つの明確な結果が今回の国交樹立交渉であることは間違いない。OSCE(欧州安全保障協力機構=Organization for Security and Co-operation in Europe)イスタンブール合意以来、この10年間、米国の支援で鉄の結束を誇ったトルコ―グルジア―アゼルバイジャン枢軸は、グルジア紛争で綻びを見せたが、新たな動きの模索もまた急展開である。