ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1928年、70歳の時の肖像画、ウィキペディア

 ゲーテの「ファウスト」というと皆さんはどんな印象をお持ちになるでしょう?

 日本では「旧制高校生愛読の書」という側面もあって、古き良き古典教養小説というイメージが強いのではないでしょうか? 少なくとも子供時代の私はそんな風に思っていました。

 しかし実際に読んでみると「ファウスト」は小説ではなく戯曲で、しかも散文でなく、全体が韻文、つまり詩の様式を採っていることが分かります。

 ここで、「なんだ、さらに格式高い<詩劇>か」と、あまり思わないで頂きたいのです。

 「ファウスト」の韻文は決してお高くとまるばかりのものではなく、日本で考えればむしろ歌謡曲や演歌の歌詞の七五調にも似た、民謡風の親しみやすいもの、つまり「詞」でもあることが重要だと思うのです。

 さらに言えば、この有名なゲーテの「文学作品」は、随所に痛烈な皮肉や風刺、同時代の対立する文学者の悪口や当てこすりなどもある「民謡風の詞」になっています。

 こうなると演歌というより、むしろ河内温度や、「あーんあんあ やんなっちゃーった」というウクレレ漫談の牧伸二が歌う芸にも似た軽いものでもあることが察せられます。

 これは決して「文豪」を貶めるものではなく「ファウスト第1部」の冒頭「舞台の前曲」でゲーテ自身が「詩人」と「道化役」の対話として記していることでもあります。ゲーテはこの畢生の詩劇戯曲に、多くの哲学的想念、高邁な思想も盛り込みました。

 しかし、これと同時に多くの駄洒落や地口、軽い笑いの要素も盛り込んで、決して一般読者をおいていくのではなく、広い裾野を持った読者層を想定していたと思います。

 だからこそ「ファウスト」は19世紀の西欧世界にあまねく広がり、広範な影響力を持つようになった。なかなか考えさせられるところです。

行政官ゲーテの「私生児殺し」防止策

 実はちょうどいま、詩人の辻井喬さんとご一緒して「福島以降の<能オペラ>作品」というものに取り組んでいます。

 お能の「隅田川」は観世十郎元雅の作とされますが、この「隅田川」とゲーテの「ファウスト」の2つを「本歌取り」した作品を日独共同制作で作ろうとしており、この夏は辻井さんとゲーテのテキストでの作曲が一大仕事になっているのですが、これはまた別の機会にお話しできればと思います。

 ドイツ語原文(と岩波文庫の相良守峯訳を突き合わせて、ですが)で読み直すゲーテの原典は、驚くほど平明な表現に様々な含意が込められています。

 そこでとても目につくのは、至る所にあるキリスト教やその道徳、カトリック・プロテスタント双方の神学や倫理への、かなり痛烈な皮肉、揶揄、あるいは批判です。