7月5日以降のウルムチ暴動関連報道のおかげで、一般日本人のウイグル問題に対する関心が高まったことは実に喜ばしい。だが、ウイグル問題を単なる共産党の「人種的、宗教的少数派への弾圧」ととらえれば、問題の本質を見失う恐れがある。今回は筆者の体験に基づき、ウイグル問題を3つの側面から考えてみたい。

遊牧民の土地と水を奪う農耕民

 2002年に新疆ウイグル自治区を訪れた際の写真集を見直していたら、ウルムチ空港着陸直前に機上から撮った写真が出てきた。それまで延々と荒涼とした大地が続いていたのに、突然目の前に広がってきたのがこの緑の農地である。

ウルムチ近郊上空より撮影(2002年)

 オアシスの限られた水源をウイグル人は皆で助け合いながら守ってきた。ところが、この乾燥した大地で最近漢族が始めたのは、水を大量に使う本格農業だった。ウルムチ郊外のこの農耕地は、石油や希少金属以上に、中国で生きる現在のウイグル族の悲劇を象徴している。ウイグル問題の本質は「農耕民族」と「遊牧民族」との戦いなのだ。

 「ウイグル人に文明が何たるかを教えたのは漢民族なんだよ」

 前回紹介した博物館での式典の夜、ウルムチの漢族政府関係者の1人が酔った勢いで筆者にふと漏らした言葉だ。そこには漢族こそが中華文明の伝道者であるとの強烈な自負が感じ取れる。

 今でも中国人にとってウイグル人は「西戎(せいじゅう)」であり、日本人が「東夷」であることを再確認させるような強烈な一言だった。中国の歴史が、漢族という慢性的に人口過剰の農耕民と、周辺の「野蛮」な遊牧諸民族との「生きるための戦い」の歴史であったことをウルムチに来て初めて悟った。

 歴史を振り返ってみよう。漢族の故郷は中原だが、そこは人口の大きな割に耕作可能地が狭い地域だった。漢族が勢力を拡大し人口が増加するたびに、周辺の農耕民「蛮族」たちは征服されていった。だが、漢族はどうも匈奴、突厥、吐蕃、回紇といった2漢字の遊牧民「蛮族」が苦手のようだ。

 筆者の如き歴史に素養のない者でも、この優秀な農耕民が周辺遊牧民の土地と水を求め始めたらどうなるかぐらいは想像がつく。ウルムチの漢族は「ウイグル族とはうまくやっていた」と言うが、漢族の移住者が真面目な農民であればあるほど、ウイグル人の反発は大きかったに違いない。