「エネルギー危機」、それに備えた「安定供給策」と「自給率の向上」。日本でエネルギーを論じると必ずこのような文脈になってしまう。
原発の推進も、本をたどればエネルギーの安定供給と自給率の向上に行き着く。原発の燃料であるウランは国内に大量に貯蔵できる。そのために、原発によって作られるエネルギーは国産に分類される。原発の推進はエネルギー自給率向上につながる。
自給率を向上させたいとの思いは脱原発を目指す人々も同じようで、原発の代わりに税金によって風力発電や太陽光発電を普及させることを主張している。もちろん、風や太陽光は自給エネルギーだ。
エネルギー自給へのこだわりを生む日本人の記憶
日本人がエネルギーの自給にこだわるのは、次のような体験が影響している。その1つは言うまでもなく石油ショックである。
1973年の10月に第4次中東戦争が勃発すると、湾岸諸国は原油価格を大幅に引き上げるとともに、イスラエルを支援するアメリカなどへの石油の禁輸を発表した。日本もアメリカの同盟国だから禁輸の対象になるとの噂が国内を駆け巡り、パニック状態になった。それは石油とはなんの関係もないトイレットペーパーの買い占め騒動まで引き起こしている。
その後も、イラン革命に関連して第2次石油ショックが起こるなど、日本は石油の輸入では苦労し続けた。それがエネルギー自給率を向上させたいとの思いにつながっている。
ただ、日本人がエネルギーを自給したいと考える理由はこれだけではない。その深層には、もう1つ遠い過去の出来事が存在する。
1930年代の後半、日本は中国との戦争を巡って米国と対立していたが、1941年に日本軍が南部仏印(現在のベトナム南部)に進駐すると、その対立は決定的になった。その時、米国は対抗措置として日本への石油の禁輸を決めた。