Michael Potts F1/Shutterstock.com

 ホンダF1を30年ぶりの優勝へ導き、F1最強のパワーユニット開発の指揮を執った元ホンダ技術者・浅木泰昭氏。大きな危機に幾度も直面しながらも、オデッセイのヒット、大人気軽ワゴンN-BOXの開発など数多くの成功を収めてきた。本連載では、『危機を乗り越える力 ホンダF1を世界一に導いた技術者のどん底からの挑戦』(浅木泰昭著/集英社インターナショナル)から内容の一部を抜粋・再編集し、稀代の名エンジニア・浅木氏が、危機を乗り越えて成功をつかむ過程を追う。

 今回は、バッシングの嵐が吹き荒れる中、F1部門で指揮を任された浅木氏のミッション遂行の舞台裏を語る。

本稿は「Japan Innovation Review」が過去に掲載した人気記事の再配信です。(初出:2024年8月23日)※内容は掲載当時のもの

バッシングの嵐の中へ

 F1をやると決めたら、2週間ぐらいでグローバルのスモールカー担当の仕事の引き継ぎを終わらせました。正式な就任は9月ですが、7月の中旬にはHRD Sakuraに通い始めました。

 HRD Sakuraは本田技術研究所に属しており、F1のパワーユニットを始め、国内最高峰のSUPER GTやスーパーフォーミュラなど、4輪モータースポーツの開発を担っている研究施設です。

 その頃のホンダF1はどん底でした。マクラーレンと組んで3年目のシーズンを迎えていましたが、ホンダの開発したパワーユニットはライバルよりもパワーで劣るだけでなく、信頼性も欠き、レースでは完走することさえままならない状態が続いていました。当然、研究所に対するバッシングはひどかった。

「F1が不様(ぶざま)な格好をさらしているのは研究所の責任だ。たくさんの開発費を使っているのにブランド価値を落としているとは何事だ」と社内から袋叩きにされていました。

 パートナーシップを組むマクラーレンからも非難されていました。ホンダはマクラーレンと2015年から5年間のパワーユニット供給契約を結んでいました。しかしマクラーレンは私がSakuraに合流した2017年の夏頃にはすでにホンダに見切りをつけていました。ホンダを切り捨て、新たなパワーユニットサプライヤーとしてルノーと組もうとしていたのです。

 マクラーレンは早くホンダと別れてルノーと契約を結ばなければ、翌シーズンのマシン開発が間に合いません。残された時間はあまりないので、メディアを使ってホンダへのバッシングを繰り返し、ホンダ側からマクラーレンとのパートナーシップを解消すると言わせようと死に物狂いになっていました。

 一方のホンダは、新しいパートナーを見つけなければならない状況でした。マクラーレンと別れる判断をしたとしても、ホンダと組むチームがなければ、このまま一度も勝てずに撤退するしか道はありません。そんなときにホンダと一緒にやりたいと言ってくれたのがレッドブルのセカンドチーム、スクーデリア・トロロッソ(現ビザ・キャッシュアップRB)のフランツ・トスト前代表でした。