シンガポールで開かれた討論会で発言するリー元首相
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『論語』に学ぶ日本の経営者は少なくない。一方、これまで欧米では儒教の価値観が時代遅れとされ、資本主義やグローバル化には合わないと考えられてきた。だが最近になって、その評価が変わりつつある。本連載では、米国人ジャーナリストが多角的に「孔子像」に迫る『孔子復活 東アジアの経済成長と儒教』(マイケル・シューマン著/漆嶋稔訳/日経BP)から、内容の一部を抜粋・再編集。ビジネスの観点から、東アジアの経済成長と儒教の関係をひもとく。

 今回は、シンガポールの経済発展を支えた「儒教資本主義」が一転、「縁故資本主義」の汚名を着せられるに至った背景を明らかにする。

孔子の政策的処方に従ったシンガポール

孔子復活』(日経BP)

 東アジアの経済的成功に関する文化的説明の最も積極的な支持者の1人は、当時のシンガポール首相リー・クアンユーだ。彼は半世紀にもわたり、同国の政治に多大なる影響を及ぼしてきた。彼の目から見れば、アジアの経済的奇跡は儒教的価値観が他の社会を大きく凌駕した勝利の凱歌(がいか)と言えた。1994年、彼は取材で次のように答えている。

「学問、知識、勤勉、倹約、『今日の五十より明日の百』の精神を重視しない文化であれば、(経済成長は)低迷するばかりだ。アジアの奇跡を単純に評価する人は、人間は皆平等であり、世界の人はすべて同じという楽観的前提に基づいている。だが、現実はそうではない。それどころか、様々な人間集団は何千年も個別に発展する間に、互いに異なる特質を発現するようになった。このような問題の研究が偏見を助長するという理由で問題を適当に扱うなら、自らが成長できる機会を失ってしまう28

 後に、この首相は「アジア的価値観」として知られる説の有力な唱道者となった。1923年、リーは父親が外資企業に勤務する家庭に生まれ、大英帝国自慢の人間だった。青年になるまで「ハリー」と呼ばれ、ケンブリッジ大学で法律学を学び、西洋の社会民主主義運動に強い影響を受ける。

 1959年、シンガポールの初代首相に就任後、30年にわたってその座を維持した。政策決定の特質は論理的現実主義とされた。だが、シンガポールの驚異的な成功は儒教的価値観のおかげ、と彼は直接的な表現で認めた。1987年には次のように説明している。

28 Fareed Zakaria, “A Conversation with Lee Kuan Yew,” Foreign Aff airs, March/April, 1994.