出所:共同通信社出所:共同通信社

 破壊的イノベーションによって次々と新たな産業を生み出した欧米諸国や目覚ましい経済成長を遂げた中国、東南アジア諸国とは対照的に、この30年間、日本経済は停滞が続いている。この状況について「日本はイノベーションのジレンマに陥っており、その解消には帰納思考と演繹(えんえき)思考を理解することが必要」と話すのは、シリコンバレーに本拠を置くNSVウルフ・キャピタルの共同代表パートナー校條浩(めんじょう・ひろし)氏だ。2024年10月、書籍『演繹革命 日本企業を根底から変えるシリコンバレー式思考法』(左右社)を出版した校條氏に、変化の時代に日本企業が身に付けるべき思考法や、その思考を理解する上でヒントになる企業例について聞いた。(前編/全2回)

市場を独占した後に直面した「イノベーターのジレンマ」

──著書『演繹革命 日本企業を根底から変えるシリコンバレー式思考法』では、日本経済が衰退した理由を理解するためのヒントとして「イノベーターのジレンマ」を挙げています。

校條浩氏(以下敬称略) ご存じのようにイノベーターのジレンマは、ハーバード・ビジネス・スクールの教授であったクレイトン・クリステンセンが提唱した考え方です。そして、まさにこの考え方こそが、日本が30年もの間変化せず、過渡期が長引いた原因だと考えています。

 日本の企業や産業が「新しい姿へ脱皮」しようとしても、過去の成功体験が邪魔し続けてきた、ということです。これは私自身が過去に在籍していた小西六写真工業(現コニカミノルタ)での経験が分かりやすいでしょう。

 私は1978年、小西六写真工業に技術者として入社しました。当時はカラー写真フィルムの全盛期で、主力事業であるカラー写真フィルムの開発・製造は収益率の高い事業でした。高収益を生んでいた要因は、技術面での参入障壁の高さです。

 当時、カラー写真フィルムの製造は超精密化学技術のノウハウの塊でした。そのため、米コダック、独アグファ、日本の富士写真フイルム(現富士フイルム)、小西六写真工業の4社が市場を独占していたのです。私は開発部署に配属され、忙しいながらも充実した日々を送っていました。

 しかし、私の入社3年目に当たる1981年、ソニーが世界初のフィルム不要の電子カメラ「マビカ」を発表したことをきっかけに、業界の競争ルールが大きく変わり始めます。