――身銭を切ってお客さんのために尽くされた。

正垣 安くていいものっていうのは自分たちの犠牲によってしか出せないんですよ。それで最終的には7割引きにしたんです。そうしたら行列ができるようになって、1日28人だった来店客が一挙に600~800人になりました。僅か17坪、38席の店ですから、とても1店舗では賄いきれなくなって、店舗数を増やしていったんです。それがチェーン展開の始まりでしたね。

 また、せっかく八百屋さんとアサリ屋さんが下にいるんだから、そこの食材を使ってお客さんが喜ぶ商品をつくろうと。最初は「どうせ潰れるから」と思ったようで売ってくれなかったんですけど、何度も頼み込んで食材を仕入れ、野菜サラダとアサリのボンゴレをつくって安く提供したらトップ商品になった。そうすると、何が起きたかって言ったら、「この2階の店に行くとおいしいぞ」って自然と客引きをしてくれるようになったんです。

――意地悪な相手が協力者に変わったのですね。

正垣 狭くて見えにくい階段も、お客さんが並ぶ時に雨に濡れなくて済むということで、最高の場所に変わりました。

 3店舗になった頃にセントラルキッチンをつくり、下準備を済ませた食材を各店舗に自分で運んでいたんですが、せっかくの食材の質が劣化してしまうことに気づきました。運搬する間の「温度」「湿度」「経過時間」「振動」の四つが影響を与えることが分かり、最初は大手食品メーカーに掛け合って委託し、次第にそのメーカーの技術者をスカウトしてきて指導してもらいながら、自社の仕組みを構築していったんです。

 周りにあるものは、自分がよりよくなるために存在しているわけですから、嫌なことも含めて全部活かせばいい。死中活ありですよ。

――マイナスの条件をも活かす。

正垣 その経験が食材の生産から加工、運搬、貯蔵、商品開発までを一貫して手掛ける製造直販体制へと繋がっていきました。まだまだ道半ばですが、全国五か所とオーストラリアに工場を構え、福島県で100万坪ものサイゼリヤ農場を運営するなど、自分たちの責任で全部やることによって品質と経費をコントロールし、より安くおいしい料理をお客さんに提供できる。なおかつ、スタッフの平均賃金も高めることができる。そうすればフードサービス業の真の産業化に貢献できると考えています。