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 グローバル企業が生き残りをかけてしのぎを削るタイヤ業界。ブリヂストンが名門ミシュランと肩を並べ、世界No.1の座を巡り熾烈(しれつ)な競争を繰り広げるに至るまでには、どのような挑戦があったのか──。前編に続き、2024年9月に『臆病な経営者こそ「最強」である。』(ダイヤモンド社)を出版したブリヂストン元CEOの荒川詔四氏に、ブリヂストンを世界企業に成長させる原動力を生んだ経営哲学や、社是を改訂して生まれた企業理念の中身について聞いた。(後編/全2回)

CEO就任後に研究所を新設した「ある理由」

──前編では、荒川さんの経営哲学の形成に影響を与えた出来事や、中期経営計画を策定した背景について聞きました。著書『臆病な経営者こそ「最強」である。』では、企業の生存戦略の原理原則として「常に新規事業への投資を怠ってはならない」と述べていますが、この言葉にはどのような意図があるのでしょうか。

荒川詔四氏(以下敬称略) 100年以上前からタイヤの基本形状はほとんど変わっていません。これほど長期にわたり、形が変わらない製品は他にないでしょう。

 しかし、機能面から考えて「車両を支えられること」「安全に旋回できること」という要件を満たせるならば、必ずしも今のような形状である必要はありません。

 むしろ、これほど長く同じ製品形態が続いていることは、不自然であるとも言えます。つまり、この先もし革新的な代替品が発明されれば、一気にタイヤの時代が終わる可能性があるということです。

 だからこそ、ブリヂストンはもっと基礎技術に力を入れる必要があると考えていました。ブリヂストンCEO就任後、中央研究所を新設し、高分子ポリマーの基礎研究を本格化させた理由もここにあります。

──数ある打ち手の中で基礎研究に注力した背景には、何かきっかけがあったのでしょうか。

荒川 直接的な影響を受けたのは、仏タイヤ製造大手ミシュランです。私がブリヂストンに入社した当時、タイヤ業界では米グッドイヤーが世界シェアトップで、1988年にブリヂストンが買収した米ファイアストンも業界上位にいました。

 そのような中で、ミシュランという会社は独特な存在でした。ブランドイメージが極めて高く、世界各国での知名度はもちろん、製品の品質も際立って優れていました。私が特に意識していたのは、ミシュランの技術的なレベルの高さです。