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女子バレーボール日本代表の眞鍋政義監督。2012年のロンドン五輪では28年ぶりの銅メダルに導き、現在はパリ五輪でのメダル獲得を目指す。従来の女子バレーではカリスマ性のある監督のリーダーシップの要素が強かったが、「自分はカリスマではない」と自認する眞鍋監督はこれまでの常識とは異なるアプローチでチームをつくり上げてきたという。低身長という絶対的なハンデがありながら、日本代表チームをどのように世界の強豪と渡り合う集団へと変革していったのか。
シリーズ「スポーツに学ぶ『変革の流儀』」
■「どんな結果でも批判は必ずある」高校野球の変革に挑む慶應・森林監督の信念
■「俺のおかげ」とはまるで逆、慶應高野球部・森林監督が語る選手との対話術
■「中国にどう勝つか?」Tリーグ創設の立役者・松下浩二氏が語る変革の思考法
■元ソフトボール女子日本代表監督・宇津木妙子氏に聞く、リーダーの重圧と楽しみ
■「自分にはカリスマ性がない」女子バレー日本代表監督・眞鍋政義がたどり着いた「任せる」リーダー像 ※本稿
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データは公平性を保つため
――眞鍋監督といえば、コート上でiPadを手に選手に指示を送る「IDバレー」が話題になりました。これはどういった経緯で始まったのでしょうか。
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1963年8月21日生まれ。兵庫県姫路市出身。高校時代にインターハイ優勝、大学時代にユニバーシアード優勝、新日本製鐵に入社すると1年目からレギュラーセッターを務め新人王に輝く。1985年から2003年までは日本代表選手であり、イタリア・セリエAにも挑戦、バレーボール界のスター選手として2005年まで活躍した。選手引退後は、女子バレーボール監督へと転身。ここでも多数の成果を挙げ、日本代表をメダルに導いている。2021年、再び日本代表監督に就任し、パリ五輪に向けて手腕を振るう。
眞鍋政義氏(以下敬称略) ありがとうございます(笑)。でも私が全日本の監督に就任した2008年当時は、日本だけでなく各国の代表チームがバレーボールのデータ分析に特化した「データバレー」というソフトを導入し、戦術に活用していたんですよ。注目されたのは、その当時データバレーはWindowsにしか対応していなかったのを、日本が他国に先駆けてAppleのiPadでも使えるように開発したからです。
2012年のロンドン五輪では28年ぶりに銅メダルを獲得したのですが、アメリカ代表の監督から驚かれました。「マナベ、試合中にiPadを持って何していたんだ?」と。
――データ活用自体は、一般的だったんですね。
眞鍋 そうですね。ただ、私にとっては、他国の選手に比べて身長が低い日本選手のハンデをカバーするものの一つが「データ」でした。データ活用に関しては世界一になろうと思い、情報戦術の体制を強化したのは事実です。
元をたどると最初にデータを活用しようと思ったのは、2005年に久光製薬スプリングスの監督に就任した時です。ある日、「眞鍋さん、あの人には5分指導して、私はなぜ3分なんですか?」と練習後に一人の選手が聞いてきました。
びっくりしたのですが、選手には公平に接しないといけないと気付かされました。そこで、それまで監督の私とコーチだけで共有していたデータを選手とも共有し、出場選手を決める際にもデータを根拠に選手たちに説明するようにしたんです。
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