私たちはもう一度「一人で生きられるか」を問うべき

西村:先ほど町内会の話が出ましたが、地方には町内会のようなつながりが多いものの、東京は少ない印象ですよね。背景に何があるのでしょうか。

石山:生活する上でつながりの必要性を感じないからではないでしょうか。地方にはお金で解決できない問題がたくさんあり、それを人のつながりで補っている面もあります。逆に都市部は、サービスも充実し、つながりを持つ必要がない。むしろ、サービスの活用によって人付き合いの面倒を減らして来たのかもしれません。

藤森:同感です。人同士つながる必要性がなくなった、というのが本質だと思います。実際、現代はサービスが溢れており、一人で生きていける気になるのも自然ですよね。でも本当にそうなのか、私たちは多くの人と共生していることをもう一度問うべきだと思います。

 まさにコロナ禍はそのチャンスでした。仮に配送業者や医療従事者がいなかったら、自分の生活や社会は成り立つのか。この意識を持つべきだと思います。

髙荷:一人一人が自分たちの生活にどう当事者意識を持つかですよね。サービスの成熟は、むしろ一人一人の“我”を育ててしまったかもしれません。企業が一方的にサービスを提供するだけでなく、お客さまも単なるサービスの受け手ではない。むしろお客さまもサービスを担う一員であるという当事者意識を持てば、正しい関係が生まれるかもしれません。

石山:企業のサービスにおいて、お客さまの当事者意識を生むカギがあるとしたら「集団消費」の機会を作ることだと思います。集団消費とは、消費者同士が面倒くささを経験すること。ちょっとした不都合をみんなで共有したり乗り越えたりする中で、お客さまが「私たちが支えるサービス」だと思えるか。それがシェアや共生における当事者意識を生みます。黒田さんの話したコーポラティブハウスは、その一例かもしれません。

黒田:そうですね。何より、仲間を増やしていくことは大きな力になります。「3.5%の法則」という研究があります。全体の3.5%が動けば社会が変わるという意味で、1986年にフィリピンのマルコス独裁政権を倒した革命、あるいは2003年に起きたジョージアのバラ革命などは、全体の3.5%の人たちの行動で成功したと言われます。3.5%は、決して多くない数字に感じますよね。少しずつ仲間を増やせば、社会は変わります。だからこそ、個々で生きるのではなく、共生の意識をみんなが持つべきだと思うのです。

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専有と共有のバランスから、共有を生み出す信頼の変遷などに話が及んだ今回の議論。人との接触が減ったコロナ禍は、逆に人同士のつながりの重要性を再認識した時期にもなったはず。ここで生まれた気づきや価値観の変化は、今後、間違いなく人々のライフスタイルに影響するだろう。