「行ってよかった」「行かなきゃよかった」

 それ以来、何回か佐世保から同窓会の通知がきた。わたしは集会や集団というものが好きではないので、すべて断っていたが、世間の人はどうしているのだろう。

 20代から60代の男女437人に、同窓会に関してアンケートした結果がある。

 それによると、同窓会に出たことがある人は57.2%、出たことがない人は42.8%ということである。出席した同窓会の種類は、高校、中学、小学校の順であるらしい。

 もちろん「行ってよかった」「行かなきゃよかった」の結果はそれぞれである。参加したときの年齢もあるだろう。

「行ってよかった」の理由の多くは、昔好きだった人と会えた、というのが一番だが、「行かなきゃよかった」の理由のひとつも、好きだった人が様変わりしていてがっかりした、である。

 その他、「行くんじゃなかった」理由に、嫌いだった相手に会ったとか、自慢話ばかり聞かされてうんざりしたとか、話が弾まなかった、などが挙がっている。

生まれ育った場所で昔の友人に会えるしあわせ

 伊万里中学のクラスにも美女がひとりいた。だがだれもがそうだとは思うが、好きだった彼女や彼氏に会ってみたいと思うのも、せいぜい40歳くらいまでではなかろうか。

 70を過ぎてはこっちもじいさんだし、あっちもばあさんで、いまやまるっきりの別人だろう。会わないほうがいいのである。

 じつをいうと、18歳で東京に出てきてから、伊万里中学で仲のよかったW君と新宿で会ったことがあった。しかしわたしはそうでもなかったと思うのだが、向こうがなんだかよそよそしいのである。笑顔もむりやりで、まあ話が弾まないのなんのって。

 そのときに、ただ懐かしいからといって会うもんじゃないな、と思ったことだけ覚えている。たった3年会わないだけでも、こうなってしまうのだ。

 当然、わたしにも「懐かしさ」の感情はある。しかし父母はすでに死に、わたしに故郷というものはない。一番「懐かしい」のは、小学校前半を過ごした竹田市である。しかしその地に、知人はひとりもいない。

 生まれ育った場所で、同窓会を開き、それに参加できる人は、ある意味、しあわせなことである。あるいは都会に出ても、故郷がそのままあり、帰郷して参加できる人もいい。気心が知れた数人の昔の友人たちと会える人は、もっとしあわせである。

 生憎わたしにそんな友人たちはいない。

 しかし中学や高校の同級生が、はるか60年以上昔のことを思い出し、こういう男がおなじクラスにいたなあと懐かしがってくれるというだけで、ありがたいことである。