筆者注:以下掲げる論考は2008年11月中旬に執筆、ある機会に報告したもの。
本来引用資料のいちいちまで精査しアップデートされているものは数字を改めるなり、事実関係についても新たな事情があるなら補うなりしなくてはならないが、ここは掲載に拙速を尊ぶことにして執筆時点でフリーズさせるのをご海容いただきたい。

1.要約

 すべての取引には資金決済が伴う。決済にはスケールメリット(economy of scale)と集中メリット(economy of concentration)がある。通貨別に、当該通貨母国のマネーセンターに集中する。時差のリスクや信用リスクなど決済につきまとうリスクが膨らみ流動性危機が起きる場合に備え、中央銀行が管理人となってシステムを保全する。

 地上のあらゆるドル取引は、現金を用いるものを除けばすべてニューヨークに集中し、例えばCITIBANKと JP Morgan Chase 間の口座振替によって決済される。この際、ニューヨーク連銀(NY Fed)が管理人となり、流動性の枯渇を防ぐ。

 大規模な決済需要を効率よく裁くため、決済ビジネスとはおのずから一大装置産業となる。しかし一定数の人間は、大規模プラントの管理と同様、必ずここに張り付いていなければならない。ニューヨークのマネーセンターバンクは眠らない。24時間、決済ビジネスを続けている。この利便性は、ドルの決済通貨性=基軸通貨性を支える、語られることの少ない基礎的インフラである。

 神経を張り詰めていなくてはならないにせよ、それは類型化された単純作業であるから、携わるのは相応する人材であって、少なくともここにMBAは要らない。するとドル基軸通貨体制を支える人材が見えてくる。この体制は詰まるところニューヨーク集中振替体制の謂いであり、その保全は米銀の中でも脚光を浴びることのない中・低学歴行員の交代勤務によって行われているのであってみれば、彼らこそは同体制のインフラを支える人材である。

 決済ビジネスとは手数料ビジネスである。米銀に、そのフィーが集中する。ドルという基軸通貨をもつ米国は、決済ビジネスにおける一大独占を手中にし、結果として米銀に優位な競争条件をもたらしてきたのがこれまでの姿だった。

 ところで世界に手形交換所が1カ所しかなかったら、出入りする業者に目を光らせることは容易だろう。近年の米国はニューヨーク振替市場が独占体であることをテコとし、マネーロンダリング防止と反テロという経済外的目的のため、これを供し続けた。

 この政策は、世界の公共財を善良に管理する目的と、米国国益の戦略的追求との均衡のうえに成り立つ。前者の目的、例えば麻薬取引監視の必要に世界は同意できても、後者にいつも賛同するとは限らない。

 911以後、上で言う2者のうち、後者が重きをもつに至った。北朝鮮をBDAで締め上げたこと、イランを兵糧攻めにしたことは、その顕著な実例であったが、このことを嫌う向きは当然ながらニューヨークを敬遠し始める。

 欧州が各国通貨によって分断され取引コストの高い場であった時代ならいざ知らず、今日ユーロは振替ビジネスを肩代わりする能力を充実させつつある。歴史はここで皮肉な反復を示し、かつて米国の上限金利規制(regulation q)を嫌った資金がロンドンをオフショア市場としてユーロダラーという鬼っ子を生んだと同様、米国のマネロン、反テロ規制を嫌う決済需要はユーロ振替を選好し始めた。欧州中央銀行(ECB)はこれを意識し、インフラの整備=決済サービスの充実に努める。

 それでもユーロ振替がいまだにシェアを顕著に伸ばしていない理由は、ECBにおけるガバナンスの輻輳(ふくそう)と、それによる機動性の低さに集約される。一朝一夕これを改善するあたわず、ユーロ振替がクリティカル・マスを獲得する日は近い将来に予見されていない。

 したがって、ドルの決済通貨性=基軸通貨性は当面なくならないと見てよいが、安泰であるとは全く言えない。ユーロには、課題が見えている以上、解決策も見えているからだ。

 そして言うまでもなく、以上の過程は地政学、安全保障上の意味合いを必ずもつに至る。