同感である。このようなことは、身をもって実感した堀江氏のような人がいわなければ、説得力はないだろう。けれど、おなじようなことは、わたしみたいなものでも、自分のささやかな体験と想像力によって実感することはできる。すなわち、①楽しいという感情は長続きしない、②楽しいのは目的を達成(夢を成就)したときではなく、過程そのものにある、③過去の100の実績よりも、現在の1の実績が勝る、そして④しあわせはいつも失われたもののなかにある――というように。

 いくら欲しいモノを買い集めても、しあわせにはなれない。うれしいのは一瞬だけ。そこで「モノを持つこと」から「解放」された堀江氏が辿りついた結論はこうである。「(モノを)所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている」。

民間観測ロケット事業は楽しみのひとつなのか? MOMO3号機打ち上げ成功の記者会見での堀江貴文氏(2019年5月19日、写真:AP/アフロ)

 堀江氏は重要なことをいっている。所有欲(物欲)以外の「自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけ」ることができれば、「もっと楽しく暮らして」いけるといいきっている。これが生活が充実するということであり、もっといえば、このことに気づくかどうかがしあわせになれるかどうかの岐路でもある。

2つの報酬系が求める、異なる「たのしさ」

 養老孟司氏が、人間の行動の動機における2つの報酬系についてテレビで話をしていたので、慌てて書き留めた(「まいにち養老先生、ときどきまる スペシャル」NHK-BSプレミアム、2021.3.13)。人間の行動の動機とは、フロイトのいう「快感原則」のことといっていいだろう。一つはドーパミンが関与する「More」(もっと)の報酬系であり、もう一つはセロトニンやオキシトシンが関与する「Here & Now」(いまここ)の報酬系である。

 もっともっとと欲したり、つねに新しいことを求めること、つまり「More」の報酬系は、人間にとって本能的である。ただこれは、予期通りの結果しかないと、報酬(快感)はあまり活性化しない。予想外の結果があると(「報酬予測誤差」が大きいほど?)、報酬はより活性化する。他方、「Here & Now」の報酬系は、「More」の報酬系とはまるでちがう。いまここにあることだけで満足し、快感を覚える。そういうような話だったと思う。