被災地を歩いてみなければ分からないことは、たくさんある。
何もかもが流されてしまっている地域があるかと思えば、すぐそばの道を曲がると、何事もなかったかのように無傷で建っている民家がある。この差は何なのか。
海から何キロも離れているのに、津波で逆流した川に襲われた所も多い。宮城県石巻市の大川小学校もそうだった。児童の3分の2が死亡、もしくは行方不明となった所だ。
訪れてみると、まるで爆撃を受けたような校舎を前に、本当にここは、この前まで子供たちが笑って過ごしていた場所なのだろうか、と疑いたくなる。
綿密な計画に基づいている自衛隊の救援活動
子供を探しに来ているのであろう。何人かのお母さんたちが、青いビニールシートにくるまれたご遺体の前にいる。
しかし、誰もが確認をすることを憚っている様子で、そばにいる陸自隊員をすがるように見つめていた。自衛隊と住民たちが、悲しみを分かち合っていることが私には分かった。
「隊員たちは、ご遺体を発見すると自分の持っている水筒の水をかけているんです」
この地区の行方不明者捜索や生活支援にあたっている、香川県善通寺市の陸上自衛隊第14旅団長の井上武陸将補が話してくれた。
震災発生後、四国でも大津波警報が出ていたため、部隊で待機していたが、警報が解除されると同時に東北に向かい、以来、活動を続けている。
女川町にある避難所のど真ん中に天幕を張り、指揮所を構えた。旅団長もそこで寝泊まりして、自ら被災者に話しかけたり、在宅避難者の調査にも乗り出しているという。