明治時代の土木技術を結集した「めがね橋」。国道18号旧道からこの角度で見上げると、おおっと声が出てしまうほど圧巻の景色だ(写真はいずれも筆者撮影)
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 22年前に廃線になった信越線横川-軽井沢間の碓氷峠(うすいとうげ)を1日かけて歩く「廃線ウォーク」に参加した。ここは鉄道にあまり興味がなくても楽しめる「魅力度第一級の廃線」だ。この険しい峠を越える鉄道を作るという難題に挑んだ多くの人たちの情熱を肌で感じることができた。

 前編では中間地点の熊ノ平駅跡に到着したところまでをお伝えした。実は、この熊ノ平が碓氷峠の廃線区間を一番象徴している、重要な場所だったのだ。それを納得していただくため、以下、多少細かい話だがおつきあいいただきたい。

 碓氷峠を通る鉄道の歴史や、廃線ウォークイベントの詳細については、前編を参照してほしい。
「鉄」でなくても魅了される!碓氷峠の廃線ウォーク
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/57913

横川側の4つのトンネル。私たちは左から2つめのトンネルから出てきた。右側2つは障害物で見えにくいため、2枚の写真を合成した
軽井沢側のトンネルは3つ。左端のトンネルの位置が他の2つより低い理由は後述する

 トンネルは横川側に4つ、軽井沢側に3つある。ここは旧線(1893年に開通したアプト式線路、単線)と新線(1963年に単線で開通。3年後に複線)が交わるところではあるが、それにしてもちょっと数が多い。調べてみると、碓氷峠という難所に鉄道を建設する苦闘の歴史が浮かび上がってきた。

 もともと熊ノ平は、単線である旧線で上りと下りの列車がすれ違うために作った場所である。人家もないような場所に駅が作られたのもそのためだ(1966年に駅は廃止)。ただし、長い列車はそのままではすれ違えない可能性がある。

 そこで考え出されたのが、短いトンネルを掘ってスイッチバックのように列車を動かす方式だった。横川から来た下り列車は、本線から「下り突っ込み線」として掘られた行き止まりのトンネルに列車前部を入れて停車する(図1の緑線)。その間に、軽井沢から来た上り列車は本線(図1の上側のオレンジ線)を通る。その後、下り列車は列車の最後尾が「下り押し下げ線」(行き止まりのトンネル)に入るまでバックする。そのあと本線に戻って軽井沢に向かうのである。スイッチバックと同様、前進後退を繰り返すちょっと面倒な運用だが仕方がない。

 熊ノ平も水平なわけではないので、軽井沢側の本線トンネルは横川側の本線トンネルより少し高い。スイッチバックする列車はなるべく水平の方が都合がいい。このため、下り突っ込み線は本線よりも位置が低く(前掲の写真を参照)、下り押し下げ線は本線よりも位置が高い。

図1 旧線時代、熊ノ平で列車がすれ違う方法

 前編で紹介したように、1963年には新線が作られ、1966年には複線化されたが、まったく新しく作られたわけではない。熊ノ平の開けた土地とトンネル入口は有効に利用された(図2)。新線下り線の軽井沢側は、旧線本線のトンネル入口をそのまま使用した。新線下り線の横川側は、行き止まりだった旧線上り突っ込み線を掘り進めたし、新線上り線の軽井沢側は、行き止まりだった旧線上り押し上げ線の位置に作ったのだ。

図2 新線(複線化以降)開通後の熊ノ平のトンネル利用方法。7つのトンネルのうち3つは使われなくなった