ワシントンDC、ポトマック河畔の桜並木。桜の季節には、毎年多くの見物客がやってくる。

(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 この季節になると、アメリカから満開の桜の映像が届きます。そう、ワシントンDCの中心部を流れるポトマック川岸に植えられた、あの2000本にも上る桜並木です。

 毎年、「Cherry Blossom Festival」と呼ばれる桜祭りが開かれ、多くの市民や観光客の心を和ませてくれています。

ワシントンに桜を贈った「もう一人の男」

 この桜は、今から107年前の1912年に日本から贈られたもので、今や「日米友好の象徴」と言われています。日米が敵として戦った太平洋戦争中でさえ、あの桜並木だけは切り倒されなかったというのですから、感慨深いですね。

 この桜をアメリカに贈ったのは、当時、東京市長だった「憲政の神様」尾崎行雄ということを知っている方は多いかもしれません。尾崎は「開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)」が創立した「共立学校」(開成学園の前身)の生徒の一人だったのですが、この壮大なプロジェクトの成功に、ある意味で尾崎以上に尽力した人物の一人が、同じく、佐野鼎の教え子であったことを知る人は少ないのではないでしょうか。

 その人の名は、高峰譲吉(たかみねじょうきち)。彼は、麹菌から抽出した消化酵素を元につくった胃腸薬「タカジアスターゼ」や、家畜の内臓から抽出したアドレナリンを元にした止血剤を発売して、アメリカで巨万の富を築いた著名な科学者です。現在の「第一三共」という製薬会社の前身である「三共」を興した人物としても知られています。

高峰譲吉と恩師・佐野鼎との接点

佐野鼎の教え子で、アメリカで活躍した高峰譲吉

 高峰譲吉は嘉永7年(1854年)、今から165年前の幕末に、漢方医であった高峰精一の長男として、現在の富山県高岡市に生まれました。

 父親が加賀藩の御典医だったこともあり、生まれてから間もなく金沢で暮らすことになったようですが、彼は加賀藩につくられた「壮猶館(そうゆうかん)」という学問所に学び、幼いときからその秀才ぶりを発揮していたのです。

 その加賀藩に、砲術師範としてスカウトされ、150石で召し抱えられていたのが佐野鼎です。