キムさんの家は、朝鮮戦争で破壊された「断橋」のふもとにあった。中国籍であるが朝鮮族の老人には、60年前の戦争の記憶が今でも鮮明に残っている。
同じ民族が国境で分断された悲劇
「自分は何とか生き延びた。多くの同胞が亡くなった。朝鮮人とか中国人とかじゃないんだ。私たちは1つの民族なんだ」
向こう岸まで10メートルくらいしかない。陸上競技選手として歴史に名を残した米国のカール・ルイスくらいのスピードと跳躍力があれば国境を突破できるのに、なんてことを筆者に妄想させるくらい、近かった。
キムさんは「朝鮮と中国、ともに主権国家だ。そこには壁がある。溝がある。国境が存在するなんていう生易しいもんじゃない。心の問題なんだ」
キムさんが朝鮮、中国、という順番に無意識のうちにこだわっていたことに、彼が歩んできた道の険しさを感じずにはいられなかった。
キムさんは、見つかるたびに中国当局から月収に相当する額の罰金を取られるのを知りながらも、実際に経験しながらも、これまで数え切れないほどの「同胞」に手を差し伸べてきた。
同じ朝鮮人のために匿い、罰金を払い、食料品を与えた
リスクを背負って向こう岸に進入し、食料や生活日用品を与えた。こちら側に走ってくる、何も持たない誰かをかくまった。
目の前に40歳くらいの女性が座っている。朝鮮式のつくりになった50平方メートルくらいの小さな家。椅子ではなく、ちょっと暖まった地べたに座り込む。
コミュニケーションは取れなかった。筆者の韓国語は、無残にも、ほとんど通じなかった。
1997年に朝鮮側の恵山から中国側の長白県に脱北して、この近辺までやってきた。当時知り合った女性から「ここは取り締まりが厳しくて危ないから農村に行くべき」という忠告を受けた。