最近、防衛省界隈で「事務次官通達」と言えば、ほぼ間違いなく例の事件に関する話である。

 2010年11月、航空自衛隊入間基地で航空祭が開かれた。この場で、ある自衛隊協力団体の会長が「民主党政権は早くつぶれてほしい」などと政権批判をした。これを受けて防衛省が、「隊員が政治的行為をしているとの誤解を招く恐れがある時は参加を控えてもらう」といった内容の事務次官通達を出したという事件だ。

 以後、自衛隊では行事の挨拶などで「民主党・・・」というワードが出てくるだけで、関係者はヒヤヒヤもの。何だかおかしな雰囲気になってしまった。

 この通達は、言論に「見えない縛り」を及ぼしており、「憲法違反の疑いもあるのでは?」と言われる。政権のためにも、与党の品性のためにも、速やかに撤回することが望まれる。

米国の「おふる」を使っていた黎明期の自衛隊

 一方で、自衛隊の歴史を振り返ると、貴重な事務次官通達もあった。

 それは、1970年7月16日、中曽根康弘防衛庁長官時代に出された。「装備の生産及び開発に関する基本方針等」と題されたもので、「防衛の本質からみて、国を守るべき装備はわが国の国情に適したものを自ら整えるべきものであるので、装備の自主的な開発及び国産を推進する」とある。つまり、装備の国産化を謳ったものだ。

 戦前、わが国は米国を仮想敵国としながらも、その米国から兵器などの輸入をし続けていた。やがて米国は日本に対する武器や石油の輸出をストップ、それが、開戦の原因となったことは周知の事実である。

 いわば「兵糧攻め」。部品のない航空機は飛ぶこともできず、敵からの攻撃を受けても、日本の将兵はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 この苦い経験から、戦後、自衛隊に入った旧軍関係者は、国産部品を持つことが何よりも大事と考えたのだ。