「東京12チャンネル時代の田原さんは、フィルムに余裕がないから、カメラを構えたら自分たちから何かを起こし始めた。そうじゃないですか?」(土屋)。「そう。まず相手を挑発する。相手を怒らせるところからカメラを回すわけ」(田原)

 テレビの視聴習慣が変わり、かつてのような「大ヒット番組」は生まれにくくなった。そんな中でも「面白い番組」にこだわり続けているのがジャーナリストの田原総一朗氏と日本テレビで数多くの人気バラエティ番組を手掛けてきた土屋敏男氏だ。一見違う土俵で活躍する2人だが、番組作りに対するスタンスは「同じ系譜」と互いに認めるほど共通項は多い。「面白い番組作り」について語り合ってもらった。(構成:阿部 崇、撮影:NOJYO<高木俊幸写真事務所>​)

安部公房の自宅をアポなしで訪問

土屋敏男氏(以下、敬称略) 最近、バーチャルリアリティの仕事に力を入れているんです。フォトグラメトリーという写真から立体を作る技術を使って、1964年の東京オリンピック開催当時の東京を再現しようというプロジェクトなんです。機器を装着すれば、64年当時の渋谷から国立競技場前を通って東京駅までを歩いて体験することができるようになります。

 かなり面白いものができているんですが、まだお金を儲ける方法が分かっていない。

田原総一朗氏(以下、敬称略) 土屋さんらしいね(笑)。お金のことよりも面白いかどうかを優先させて行動しちゃうところが。

土屋 そこはテレビマンの先輩としての田原さんの精神を受け継いでいるつもりですので、今日は田原さんのテレビの仕事の原点を聞かせてもらいたいなと思っているんです。

田原 僕は大学を出て最初に入った岩波映画を3年半で辞めて、開局直前の東京12チャンネル、今のテレビ東京に入ったわけです。

 で、実は僕、開局記念番組を作ったんですよ。

土屋 入っていきなり?

田原 そう(笑)。新しい局ができるというんで、あちこちから社員が集まってきたわけだけど、だいたいテレビ番組を作った経験なんてない人ばかりだから、開局記念番組の企画を募集するなんていうと、よく分からないくせにみんな企画を出すんだよね。

土屋 で、田原さんも出してみたと。どんな企画だったんですか。

田原 SFドラマ。それもはったりで、安部公房作ということにして。安部公房は当時、日本でノーベル文学賞に一番近い作家だった。絶対引き受けてくれるはずがないんだけど、はったりでそう書いた。そうしたら会社は、「安部公房がやってくれるならOKだ」と。

土屋 企画が通っちゃったわけですね。

田原 そう。それで安部公房に電話したらけんもほろろでね。しょうがないから、安部公房の自宅へ20日間ぐらい通ってみようかと。それで、朝8時頃から夜6時過ぎまで、玄関の前に立ってたの。

土屋 アポなしの直撃取材ですね(笑)。

田原総一朗:東京12チャンネル(現テレビ東京)を経てジャーナリストに。『朝まで生テレビ』(テレビ朝日)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)などに出演する傍ら、活字媒体での連載も多数。近著に『AIで私の仕事はなくなりますか?』 (講談社+α新書) など。

田原 そうしたら4日目に、なんと安部公房が出てきて、「中に入んなさい」と。

土屋 ついに会えた。

田原 うん。で、僕が「開局記念番組をやりたいので協力してほしい」と切り出したら、「何やるんだ」って言うから、「コンピューターと人間の戦いやりたい」って説明したの。

「どういう戦いだ」って言うから、「裁判劇にしたい。コンピューターが、人間はもう要らないと言い出す裁判だ」と。

土屋 もしかして「安部公房の小説を原作にして番組を作りたい」というんじゃなくて、「今から原作を書いてくれ」っていうことですか・・・。

田原 そう、そういうずうずうしいお願いだった(笑)。コンピューターが「人間は要らないと言い出して、人間が裁判に訴える。そういうコンピューター対人間の戦いだ。安部さん、書いてくださいよ」と頼んだら「面白い!」と。

土屋 書いてくれたんすか。

田原 書いてくれた。ただ今度は安部公房から条件が出た。「主演はフランキー堺。それから加賀まりこにも出てほしい。それならばOKだ」と。

 それで芸能界のプロデューサーに「2人を紹介してほしい」と頼んで、フランキー堺と加賀まりこに会いに行った。そしたら2人とも、「安部公房が書くなら」っていうんでOKしてくれたんです。