田原 昔こんなこともやりました。木島則夫さんという人気キャスターが、テレビ朝日の『モーニングショー』で一世を風靡した後に、今度は日本テレビで、土曜深夜に『ハプニングショー』っていう生放送のワイドショーを始めることになった。

 その第1回放送で、新宿コマ劇場前の広場に舞台を作って、当時、新宿にたむろしていたフーテンと呼ばれた若者たちと木島さんが討論をするという企画があった。僕はテレビ東京で新宿のフーテンたちに密着取材していたところだったので、フーテンたちを煽って、木島則夫と討論させようと思ったの。そうしたら想像していた以上の人数が集まってワーッと押し寄せてきた。そしたらびっくりした木島さんは生放送の最中なのに舞台から降りて、ビルの中の喫茶店に逃げ込んで、そこで生放送を続けたんだよね。そのうちに淀橋署からパトカーが飛んできて、「誰が騒動の責任者だ」っていうので、僕が手を挙げて、捕まった。

「自分のところでアポなし取材しないのは卑怯だ」で社長直撃

土屋 本物のハプニングじゃないですか。

田原 数時間後に釈放されたんだけど、面白いのは12チャンネルが後日、その一部始終を含めたフーテンのドキュメンタリーをそのままオンエアしたこと。今ならクビですね。とにかく、他の局がやってないもの、危ないもの、パクられるものをやろうとしていた。

土屋 今でこそ『池の水を抜く』のようなものがテレ東のスタイルみたいに言われている。でも、それって別にテレ東の社長が決めたスタイルじゃなくて、たぶん田原さんが勝手にやっていたことが、DNAとしてテレ東の中にずっとある。要するに、「まともな、他局と同じことをやっても勝ち目はない。だから、他でやらないことをやる」っていうのがテレ東の根底にあるDNAとなっている。で、やっているうちに、これがものすごく多分、視聴者的には新鮮で新しい。だから今、テレ東のバラエティー番組ってものすごく注目されてる。

田原 土屋さんのすごいのは、タブーなしのアポなしロケを貫いたこと。なにしろPLO議長のアラファトとか社会党委員長の村山(富市)さんのところにも行ったよね。

土屋 やりましたね。アラファト議長の企画は「てんとう虫のサンバ」の替え歌で「アラファトわたしが夢の国~」ってデュエットしたい、というもの。村山さんのは、長い村山委員長の眉毛を切ってあげたいっていう企画ですね。

 どっちも途轍もなくばかばかしい企画。その上、リスクはものすごくあるし、成功する見込みはほとんどない。だけど、その悪戦苦闘する過程から全部撮影して、見ている人にはそのプロセスも面白がってもらった。そういう手法がウケたんだと思います。

田原 でもね、この2つ以上に驚いたのは、日テレの社長の家にもアポなしで行ったこと。

土屋 やりましたね。

田原 むちゃくちゃな局ですよ。だって自分の会社の社長ですよ。

土屋 当時の青島幸男都知事が、「私も車で登庁するのを控えて、時々は電車で登庁します、普段は車で通勤している人も電車やバスを利用しましょう」と提唱されたんですよね。で、うちの会社で車で来る人っていったら社長くらいだから、当時の氏家齊一郎社長の自宅に行って、「電車で行きましょう」って松本明子が誘うっていう企画でした。

 でも氏家が偉いなと思ったのは、『電波少年』がアポなし取材にきたことを会社で誰にも言わなかったこと。誰かに話したら、絶対に放送を止められる。だから彼は誰にも言わなかったんですよ。

田原 すごいね、氏家さんも。

土屋 僕はなんにも言われないから、そのまま放送しちゃった。放送翌日の月曜日、会社が大騒ぎになっていました。僕の上司の部長も局長も、取締役だって全員知らなかったわけですからね。「おまえ、何やってんだ」って叱られました。

田原 管理職としてみれば、大変な失態ですよね。

土屋 人様んちにアポなしに行ってんのに、自分ちに行かないのは卑怯だろっていう、訳の分かんない思考回路が僕の中で働いていたんです、あの時は。

田原 よく番組がつぶれませんでしたね。

土屋 そうですね。本当にトップが理解してくれてたというか。一応、視聴率はまあまああったので、数字取ってくるやつはテレビ局的にはいいだろうっていう判断で、かばってくれたんでしょうね。多少問題を起こしていても。

田原 大問題ばかりでしょう(笑)。

土屋 いやいや(笑)。

次回「猿岩石のゴール場面で視聴者から苦情が殺到しました」)に続く