2010年暮れ、東京都渋谷区にある楽器店「ヤマハミュージック東京 渋谷店」(以下、「ヤマハ渋谷店」)が44年の歴史に幕を閉じた。

道玄坂で営業していたヤマハ渋谷店。白いフェンスの中で改装工事中(筆者撮影)

 ポピュラー音楽の殿堂とも言われた同店。閉店を惜しむ声はやまず、去る1月19日には「さよならコンサート」も開かれた。

 かつてYMOとともに活躍した音楽家の松武秀樹氏がツイッター上で呼びかけると、40人のアーティストが呼応した。カシオペアの向谷実氏やサンプラザ中野くん氏、大沢誉志幸氏など、そうそうたるアーティストたちの競演の模様は、インターネットの動画共有サイト「Ustream」でも配信された。日本初のUstream有料「生」配信ということでも話題になっている。

 我が国の音楽シーンをリードしてきたようなビッグアーティストたちにとっても特別な場所だったヤマハ渋谷店。ポピュラー音楽が衰退した気配はないにもかかわらず、その殿堂とも呼ばれた店が幕引きを迎えた背景には、どんな事情があったのか。

日本の「ポピュラー音楽」の歴史を築いたヤマハの功績

 ヤマハ渋谷店は、楽器メーカー最大手であるヤマハの直営店として、1966年、渋谷駅近くの道玄坂に開店した。

 閉店を伝えた2010年8月5日付のヤマハのプレスリリースには、「開業当初よりYM東京渋谷店が担ってきたLM楽器の普及と同地区での市場構築といった役割を果たし終えたとの判断に至り」とある。

 「LM」とはヤマハが独自に使ってきた言葉で、「ライトミュージック」のこと。直訳すれば「軽音楽」。クラシック音楽と対比される。ポピュラー音楽と言い換えてもいいだろう。

 ヤマハはピアノや管楽器のようなクラシック音楽向けの伝統的な楽器はもとより、会社のルーツでもあるオルガンと、その進化型で電子オルガンの代名詞にまでなった「エレクトーン」を製造販売し、自ら市場を作って拡大してきた。

(注:「ヤマハ」の名は初の本格的国産オルガンを開発した創業者である山葉寅楠の名に由来する。「エレクトーン」はヤマハの商品名である)

 そのエレクトーンの普及活動として「ヤマハ音楽教室」を全国に展開。エレクトーンを中流家庭の子女の代表的な「お習い事」の1つにまで発展させた。

 同時にヤマハはアコースティックギターやエレキギター、ドラムセット、そしてエレクトーンのさらなる進化型としてのシンセサイザーといった様々なポピュラー楽器を次々と開発、販売していった。