また、隣国のカナダが英国の自治領でありながら右側通行にシフトしたのは、米国と陸続きなためだ。

なぜ日本は左側通行になったのか?

 では、日本はどうか。

 日本は明治維新後に「近代化」の一環として近代的軍隊制度を導入した。近代的軍隊の創設にあたって、日本陸軍は最初はフランス陸軍、その後はドイツ陸軍にモデルを求めて制度設計した。当時はまだ自動車の時代ではなく、軍隊の移動や輸送には馬が使用されていた。

 先にも見たように、ドイツ陸軍は、基本的にナポレオン戦争後にフランスの制度をもとに設計されたプロイセン陸軍を中核としていた。そのため、当然のことながら最初から右側通行であった。よって、フランス軍、ドイツ軍をモデルにした日本陸軍が右側通行を制度として導入したのは当然のことであった。

 では、なぜ日本の道路は左側通行になったのだろうか?

 日本の道路が左側通行になったのは、1900年(明治33年)の「警視庁令」(道路取締規則)による。先にも触れた『舗装と下水道の文化』(岡並木)によれば、のちに初代警察講習所長となった松井茂は「特別な理由や研究に基づいたものではない。なんとなく左側通行がよいと考えた」からだったと回想しているという。

「なんとなく」という決め方に驚かされるが、さらに以下のようなエピソードが紹介されている。

 陸軍ではすでに右側通行が実施されていたため、警察としては右側通行を主張する当時の内大臣・西郷従道(西郷隆盛の実弟で日本陸海軍建設の功労者)を説得する必要が生じ、その任に当たった松井と西郷の間でこんな会話が交わされたのだという。

 西郷から左側通行の根拠を厳しく問われた末に、松井が「(左側通行には)別に理由はありません。ただこれだけですよ」といって左の腰から刀を抜くまねをしたら、「うむそうか、よかろう」といって西郷は承知したのだという。武士が左腰に刀を差していたから、ということらしい。松井氏自身がこのように回想しているそうだが、重要な決定というものは、案外こんな理由で決まってしまうのかもしれない。