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(文:澤畑 塁)

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳
作者:アニル・アナンサスワーミー 翻訳:藤井 留美
出版社:紀伊國屋書店
発売日:2018-02-15

「私はもう死んでいる」(コタール症候群)、「この足は断じて自分の足ではない」(身体完全同一性障害)、「目の前にもうひとりの自分が立っていた」(ドッペルゲンガー)──わたしたちが「自己」と呼んでいるものに歪みを生じさせるような、驚くべき症例と経験の数々。本書は、それらの症例と経験を手がかりとしながら、「自己とは何か」という大問題に迫る挑戦的な一書である。

 挑戦的なだけではない。本書は痺れるくらいにエキサイティングでもある。本書をそれほどエキサイティングにしているのは、以下のふたつの要素だ。

驚きに満ちたストーリー

 まずひとつは、痛ましくも興味深い症例と経験のストーリー。本書は、アルツハイマー病、統合失調症、自閉症といったよく耳にする疾患だけでなく、コタール症候群、離人症性障害、ドッペルゲンガーといったあまり知られていない疾患や経験もとりあげている。そして、それらの症例や経験をドラマチックに紹介する筋立てがじつによくできているのだ。

 なかでもその展開にゾクゾクさせられるのが、身体完全同一性障害(BIID)を扱った第3章だろう。BIIDの患者は、身体の一部(とくに手か足)がどうしても自分のものとは感じられず、それを切断したいと強く望む。本書に登場するデヴィッドも、片方の足に関してそうした感覚と願望を抱いており、何度か自ら切断を試みた(!)ほどだった。

 彼がたどったその後の展開はさらに衝撃的だ。デヴィッドは、自らもBIID患者だった仲介者とコンタクトをとり、非合法な形で切断手術を請け負う外国の医師を紹介してもらう。そして、仲介者や著者とともに国外へ渡り、ほかの医師や看護師を巧みに欺きながら、切断手術へと漕ぎ着けるのである。結果、(こう表現して正しければ)手術は成功し、デヴィッドの願いは達せられる。術後の彼を描いた印象的な文章を引用しておこう。

“初めて会ったときからずっと、デヴィッドは張りつめた表情をしていたが、それがすっかり消えている。心から安堵し、満たされているのが私にもわかった。

数か月後、デヴィッドにメールで様子をたずねた。切断手術に後悔は微塵もない。人生で初めて、自分が完全にまとまった存在になれたとデヴィッドは返事をくれた。”

 以上のような驚きに満ちたストーリーが、本書をきわめてエキサイティングにしている第一の要素である。そして第二の要素は、「自己とは何か」に関する理論的考察だ。