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 今回は、そんな蒼井そらがいかなる経緯で、なぜ中国で有名になったのか。そして彼女の爆発的な人気が日中両国の文化関係の歴史にどう位置付けられるのかを解説してみたい。

蒼井そらの前は飯島愛が人気だった

 前提として、日本のAVが中華圏で人気を博した過去の歴史を簡単に説明しておこう。もともとJ-POPやドラマ・アニメ・ゲームなどの日本のコンテンツは、1990年代に海賊版の形を取って台湾や香港で普及しており、当時はまだ貧しかった中国国内にもその二重コピー品が流通していた。安室奈美恵や浜崎あゆみ、木村拓哉、反町隆史、松嶋菜々子らが、若者を中心に中国社会でかなりの知名度を持っていた時代があったのである。

(余談ながら、酒井法子が現在もなお中華圏で一定の人気を保ち続けている理由は、『ひとつ屋根の下』などドラマや楽曲がヒットしていた人気の絶頂期に、当時の日本の芸能人としては珍しく熱心なアジア営業をおこなっていたことが関係している)

 1990年代に最盛期を迎えた多種多様なジャパン・コンテンツが中国に流入するなかで、その裏面の一端を占めていたのがAVだった。

 当時、中華圏における有名なAV女優は飯島愛や夕樹舞子だ。特に飯島愛は、蒼井そら以前に男女を問わずセクシーアイコンとして広く名を知られていた。その知名度の高さは、2001年の香港人気コメディ映画『ダイエット・ラブ』(主演:アンディ・ラウ、サミー・チャン)で、主人公が「俺の彼女は飯島愛だ!」と叫ぶシーンがあったほど。映画館に来る一般の観客が、みんな飯島愛を知っているから成立したギャグである。

 2000年代に入り、中華圏におけるJ-POPや日本ドラマの人気は韓流に取って代わられたが、違法ダウンロードが容易なブロードバンド回線の普及と、アジア地域に日本と競合する水準のポルノコンテンツが少なかったことで、AVだけは人気を保ち続けた。