12月6日、ドミトリー・メドベージェフ大統領がロシア大統領としては8年ぶりのポーランド訪問を果たした。歴史的に国境線の引き直しを繰り返してきた両国関係の改善を期してのものだった。

当初はドイツの仕業にされたカティンの森事件

 関係改善という意味では、今年4月、カティンの森事件70周年記念式典に出席するためロシアへと向かうポーランド政府要人を乗せた航空機が悪天候のため墜落、レフ・カチンスキー大統領(当時)が死亡するという悲劇に見舞われたことは記憶に新しい。

ポーランドの首都、ワルシャワの町並み

 これまで幾度となく国土を分割されてきたポーランドだが、第2次世界大戦でも勃発早々に、西側のドイツと東側のソ連に挟みうちにされる形で占領されてしまう。そして起こったのが、ポーランド人将校捕虜が何者かに大量虐殺されたカティンの森事件である。

 事件の真相については、当初、ドイツ、ソ連双方が互いに相手の仕業としていたが、英米では1950年代にソ連によるものとの判断が早々に出されていた。

 しかし、戦後共産圏に繰り込まれていた当事国ポーランドでは、ナチス・ドイツによる犯行という「カティンの嘘」で塗り固められ、それ以上の追究をポーランド政府もすることはなかった。

 1989年になってようやくポーランドの雑誌に事件がソ連軍によるものだったことが掲載されたが、グラスノスチを進めるミハイル・ゴルバチョフ大統領によって、スターリンの指示で行われたことをソ連自身が認めたのは、冷戦が終了した1990年になってからのことである。

巨匠ワイダ監督、アカデミー賞外国語部門の本命作『Katyn』を語る

ポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督。『カティンの森』は08年度のアカデミー賞にノミネートされた〔AFPBB News

 冷戦時もあえて亡命することもせず、共産党による表現規制の中、映画を撮り続けてきたポーランド映画界の巨匠アンジェイ・ワイダ監督は、2007年、『カティンの森』を発表した。

 事件の経緯を丹念に描いたこの作品は、世界中で上映され、事件の存在を知らしめるに十分な役割を果たしたが、実はワイダ自身、父親がその犠牲者の1人だった。

 今回、ロシアから友好勲章がワイダに贈られることになったが、そんなロシア側の積極的な友好姿勢のアピールに対する「政治的ジェスチャーでないことを信じたい」というワイダのコメントは冷静そのものだ。

 もっとも、この2国関係の根底にある不信感の象徴的な事件を公然化したワイダの方は、既に立派に(肯定的意味での)政治的役割を果たしている。