2016年10月13日、タイのプミポン国王が死去した。前回、プミポン国王の病状が思わしくないとした記事を掲載してからわずか2日後のことだった。
◎前回の記事「タイの内戦が日本の平和ボケを打ち砕くかもしれない」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/48082)
プミポン国王は国民から深く敬愛された国王であり、現在、タイは深い悲しみに沈んでいる。公務員の服喪期間は100日とされるが、遺体が荼毘にふされるのは1年後であり、それまでは実質的な服喪期間が続くことになろう。
消費活動の自粛はタイ経済に暗い影を投げかけ始めた。そして、服喪期間が明ければ、激しい政治闘争の時代に突入することになろう。ここでは、不謹慎とのそしりを免れないかもしれないが、少々大胆に今後のタイを占ってみたい。
タクシンの復権は時間の問題か
プミポン国王死去の報に接し、もっとも喜んだのは亡命中のタクシン元首相であろう。「ついに待っていた時がやって来た」、心の中でバンザイを叫んだに違いない。
前にタクシンが田中角栄にていると書いたが、現在のタイにおいて彼の他に卓越した才能を持つ政治家はいない。長い亡命生活を強いられているもののまだ67歳、クリントンやトランプよりも若い。
2006年に軍部のクーデターによってタクシンは失脚した。その経緯は複雑だが、簡単に言えば、タクシンの政策が国王周辺にいた既得権益層(黄色シャツ)と対立したためである。
タクシンは農村部に対してバラマキ政策を行った。そのために農村部で人気が高い。それゆえに、いくら既得権益層がタクシンの政策を批判しても、選挙になると農村や農村からの出稼ぎ層が強く支持するために、タクシンを支持するグループ(赤シャツ)が過半数をとってしまう。
選挙では勝てないから、黄色シャツは軍部と組んでクーデターを起こし、タクシンを国外に追放した。多くの国民がクーデターを不満に思いながらも、それをしぶしぶ認めたのはカリスマ性を有するプミポン国王が積極的ではないにしても、クーデターによって樹立された政権を追認してきたからだ。