イノベーションの第3の機会──「ニーズ」(1)

「イノベーションの母としてのニーズは限定されたニーズである。漠然とした一般的なニーズではない。具体的でなければならない」(『イノベーションと企業家精神』ピーター・ドラッカー著、上田惇生訳、ダイヤモンド社)

 故松島省三博士と言えば、コメの研究者で知らない人はいない、増収技術の開発者として歴史に名を残している方です。

 松島博士の業績の大きさに異論を挟む人はいませんが、時代の波に洗われ、忘れ去られた業績もあります。「株まきポット稲作」と呼ばれる田植えの手法です。

 長時間腰をかがめて苗を植えていく、昔の田植えは大変な仕事でした。少しでも農作業をラクにしたい。松島博士は稲を「植える」のではなく「投げる」ことを提案します。

 セルトレイに種をまき、そこで育った苗をまとめて掴み、田んぼに投げ入れたらどうだろう? 土は苗より重いから、投げたら土を下にして落ちていく。それで十分苗は植えることができて、1日の作業が10分で終わるではないか。

 トレイに入れる土の量と苗の大きさはどのくらいが適切か? 何束掴んで投げたら、手植えするのと同様の密度で植えられるのか、そして収量を最大にできるのか? 研究の末、この田植え方は完成し、普及しつつありました。しかし、田植え機の登場で姿を消すことになります。

 田植え機がまだ高価で、コスト的にもスピード的にも「株まきポット稲作」の方が明らかに優れていたのにもかかわらず、普及したのは田植え機でした。

 その背景には、碁盤の目のように苗を配置することを希求する農家の願望がありました。「株まきポット稲作」ではきれいに苗が配置できないのでカッコがよくなかったのです。

 真新しいベンツやレクサスがずらりと並ぶゴルフ場の駐車場に、薄汚れたいかにも古そうな軽自動車で乗りつける場面を想像してください。たとえあなたの腕前がシングルでも、引け目を感じる人は少なくないでしょう。同様に水田もイネの並びが悪いと農家は肩身が狭いのです。

 現在でも、1反以下の小さな水田では、田植え機を使うよりも「株まきポット稲作」の方がコストは安くつくはずです。ところが、田んぼをカッコよく見せたいという農家のニーズの前には、普及のきっかけすら掴めません。

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 さて、ここからは、日本の農業が抱える構造的な問題を解決するイノベーションについて考えてみたいと思います。具体的には、コメ専業の大規模農家がどうやって生き延びていけばいいのかという問題です。そこに、「ニーズに基づくイノベーション」が生まれる可能性はあるでしょうか。