東シナ海で実弾演習=日本けん制する狙いか-中国

南シナ海の西沙諸島(英語名:パラセル諸島)で軍事演習を行う中国の南海艦隊〔AFPBB News

 フイリピンがオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴していた南シナ海への中国進出、いわゆる「九段線」という南シナ海全域に及ぶ歴史上の管轄権は、正当性がなく国連海洋法条約(UNCLOS)違反と認定された。

 その他においても中国の主張は全面的に認められなかった。

 すなわち、中国の南沙諸島における埋め立て(ミスチーフ礁、ファイアリー・クロス礁など)は低潮高地(満潮時水没)の人工島であり領海や排他的経済水域(EEZ)は認められない、フイリピン200海里内の水没しないスカボロー礁は中国のEEZや大陸棚の根拠たる島でなく岩である、というものである。

 また、中国の漁業妨害、環境保護違反なども指摘されている。

半世紀近い海洋進出の歴史

 中国は、予想以上の厳しい判決に狼狽し、それが強制力を伴わないことを盾に、拒否する声明と9か国語の反論文書を発出した。また裁判における日本人判事の政治的陰謀、判決は紙くずに過ぎない、法衣をまとった政治的茶番劇などとヒステリックな非難を繰り返している。

 さらに南シナ海で数次の演習を繰り返し、判決拒否の態度をあからさまに示している。国連安保常任理事国そして国連海洋法条約締結国としての責任と矜持があるのかと疑わざるを得ない。

 振り返ると、1970年代、当時の南ベトナムから武力で西沙諸島を奪い、1980年代後半さらに南沙諸島に一方的に進出し実効支配を強めてきた。海洋進出は「偉大なる中華民族復活」の象徴として、すでに半世紀近く継続している。

 判決後も「南シナ海は核心的利益、あらゆる手段を駆使して守る」と全く譲歩しない姿勢を堅持して、資源開発、シーレーンへの影響力強化の経済上と原子力潜水艦の太平洋進出の拠点化という軍事上の目的を達成しようとしている。

 この間の中国の政治、外交は、1933年(昭和8年)のナチスドイツの独裁体制確立以降の姿勢に近似している。

 アドルフ・ヒトラーは、ベルサイユ体制の破棄による「大ドイツの建設」、優秀民族たるゲルマンは「相応する生存権を確保すべき」という目標のもとに、ヨーロッパにおいて独善的な行動を開始した。

 1933年の再軍備から、2年後には常備軍制限撤廃を宣言し、一挙に36個師団、55万人という西欧諸国を圧倒する陸・空軍力を整備した。36年にはライン川左岸地区非武装地帯へ進駐し、英国の譲歩によって総排水量42万トンに及ぶ海軍の建設を推進した。

 この軍事力を背景に1938年にはオーストリア併合さらにズデーデン地方進駐、隣接するチェコスロベキアの併合と恣意的に拡大の一途を進んだ。