日本国憲法の土台となった“物語”とは・・・(写真はイメージ)

 7月10日に投開票が行われた参議院選挙の結果、憲法改正に前向きな党派の議員が3分の2を占めるに至り、憲法改正の発議が可能な条件が生まれた。一方で、SEALDsなどの市民団体の呼びかけに応えて日本共産党が民進党など他の野党と共闘するという大きな変化が生まれ、野党統一候補が接戦区の多くで与党候補に競り勝った。

 今後はこの選挙で生まれた政治的力関係の下で、憲法改正についての議論が開始されるだろう。今回は、この選挙結果を念頭に置きながら、社会をより良い方向に変えるにはどのような方法が適切か、という問題について考えてみたい。

生物の進化と社会の進歩

 私がこの問題を考える手がかりは、生物の進化と社会の進歩の類似性だ。どちらも、誰かがデザインしたものではない。生物の進化の場合、さまざまな突然変異が特定の環境の下で試され、生存率や繁殖力を高める効果を持ったものが集団中に広がることで、環境への適応が進む。この単純な手順が、人間の知能を含む、生物界に見られる多種多様な機能を生み出したのは驚くべきことだ。

 社会の進歩の場合にも、さまざまな制度や商品が歴史や市場の中で試され、社会や消費者に支持されたものが普及していくことで、制度や商品が改良されてきた。そして私たちの社会はより安全になり、物質的に豊かになってきた。

 ただし、社会の場合にはときどき激変が起きて、社会を混乱に陥れてきた。革命や戦争などの社会的激変の背景には、ほとんどの場合にイデオロギーの対立があった。経済的な利害対立だけで激変が起きたケースは少ない。

 このような生物進化と社会進歩の比較から、激変を避けて少しずつ改良を重ねることが、社会を進歩させる王道だと考えられる。これは、フランス革命の急進主義を批判したエドマンド・バークの結論であり、社会主義による計画経済を批判したフリードリッヒ・ハイエクの結論であり、そしてジョセフ・ヒースによる「スロー・ポリティクス」の提案とも調和するものだ。

 この結論を導くために、まずは保守主義とリベラリズムのルーツをたどり、そこから日本国憲法への歴史の道のりをたどってみよう。進化を理解する場合と同様に、社会を理解する上でも、歴史をたどることでさまざまな事柄を関連づけ、全体を俯瞰して見ることができる。