4本の柱が印象的なヤンゴン証券取引所の外観

 その後、2011年のテインセイン政権の成立を機に、動きは本格的に加速していく。そしてそのころには、大和総研のみならず、官民のさまざまな協力者たちがこの事業に関わるようになっていた。

 まず、2012年5月にミャンマー中央銀行と東京証券取引所、大和総研の間でMOUが締結された。これを受けて8月には、財務総合政策研究所と大和総研が証券取引法の策定に向けた助言と人材育成を実施。こうして翌2013年7月、新ミャンマー中央銀行法とミャンマー証券取引法が成立した。

 特にこの証券取引法は、1995年に大和総研が草案の作成を支援して以来、プロセスが中断していたため、実に18年ぶりの策定だった。

 さらに2014年には、金融庁の畑中龍太郎長官(当時)がミャンマーを訪れたことから、金融庁とミャンマー財務省が金融協力に関するMOUを締結。証券をはじめ、マイクロファイナンスや保険など、さまざまな分野に対して包括的に技術協力を行うことがうたわれた。

 その後、金融庁の職員を国際協力機構(JICA)の専門家として派遣し、制度設計を支援する取り組みもスタートした。

挑戦続きの最前線

 そんなオールジャパンによる事業の最前線に、1人の男性がいる。2012年より大和証券グループ本社からMSECに派遣されている平松勉副部長だ。

ミャンマー証券取引センター(MSEC)の平松勉副部長

 1997年に入社して以来、日本の事業法人部で4年間、上場企業のファイナンスや資金運用業務にあたった後、7年以上フランスに駐在し、機関投資家や日本株のファンドマネジャーにアドバイスを行った経験を持つ、正真正銘の国際派だ。

 しかし、そのころはまだ、ミャンマーという国も、MSECのこともまったく認識していなかったし、まさか自分が赴任することになるとはまったく予想していなかったという。

 平松さんをはじめ、多くの社員がミャンマープロジェクトのことを知ったのは、2011年に入ってからのことだった。内示前に人事部から異例の打診も受けたが、翌日には「行きます」と答えた平松さん。

 「資本市場の発展を通じた国づくりというオールジャパンで進めている国策プロジェクトに、証券会社の一社員として関われるのは貴重な機会」だと思ったのが、その理由だった。

 意気込んで現場にやって来た平松さんを待っていたのは、それまで経験してきた仕事とはまったく違う、新しい挑戦の連続だった。