日本人がこれほど「食料自給率」に怯える理由

日本農業、再構築への道 <1>

2010.10.13(Wed) 川島 博之
筆者プロフィール&コラム概要

 人間が生きていくためには熱量を摂取する必要がある。農水省は、その40%しか自給できていないと宣伝したのである。これは、何かの際に輸入がストップしたら、日本国中が飢えるだけではなく、餓死者が出ることを意味する。これは説得力のある宣伝になった。

日本人のトラウマとなった石油ショックと飢餓の体験

 農水省の食料自給率政策がこれほどの説得力を持った背景には、日本の現代史における2つの出来事が影響していた。

 第1には、日本が1973年に石油ショックを経験したことである。第4次中東戦争が始まると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は、イスラエルを支持する国には石油を輸出しないことを決めた。

 イスラエルを支持する国として米国とオランダが挙げられていたが、当初、日本がその中に入っているかどうかはよく分からなかった。「米国の同盟国であるから入っている」と言う人もいれば、「そうではない」と言う人もいた。政府は当時の三木武夫副首相を特使として派遣し、OAPECに石油を売ってくれるように懇願した。

 しかし、このような状況の中で、石油が輸入できなくなるとの不安が瞬く間に日本中を駆け巡り、パニック状態になってしまった。それは、石油とはなんの関係もないトイレットペーパーの買い占め騒動にまで発展している。

 これは日本人にとって大きなトラウマになった。それまで輸入できていたものが、海外で起こった戦争などの影響で急に輸入できなくなる事態を見せつけられたからである。

 それと同じことが、生存に直接関わる食料で生じたら大変である。食料が足りなくなれば、その影響は石油をはるかに上回る。国民が食料自給率の低下を心配するゆえんである。

 日本人が食料自給率の低下を心配する理由はこれだけでない。現在の日本で政治的にも経済的にも大きな影響力を持っている高齢者が、心の底で食糧危機を強く恐れていることである。

 太平洋戦争末期から昭和20年代初頭にかけて、日本全体が飢えに苦しんだ。食糧難は1945(昭和20)年の秋から46(昭和21)年の夏にかけて最もひどく、その頃、多くの日本人は餓死の恐怖にさらされた。

 このことを記憶している人たちは、現在、60代後半以上になっている。だが、幼児期や青年期に体験した飢えの記憶は現在になっても鮮烈に残っているようで、新聞などにも、その世代の人々が戦中戦後に食料の入手に困った経験を語り、「若い人に食料の大切さを教えたい」などと訴える投書をよく見かける。

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東京大学大学院農学生命科学研究科准教授。1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員などを経て、現職。主な著書に『農民国家 中国の限界』『「食糧危機」をあおってはいけない』『「食糧自給率」の罠』など


農業の進む道

就業者の高齢化と減少、国際競争力の欠如など、様々な問題を抱える日本の農業。農業改革が遅々として進まないのはなぜか。農業を覆う問題の構造を明らかにし、あらゆる方面から日本の農業を活性化する方策を探る。