文部科学省が出した国立大学法人の「組織及び業務全般の見直しについて」という通知が波紋を呼んでいる。特に人文社会科学系学部・大学院については「18歳人口の減少や人材需要を踏まえ、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求めていることが注目されている。

 ついこの前まで「大学院重点化」だの「スーパーグローバル大学」などと誇大な目標を掲げて空振りに終わった文科省が今度は180度転換して文系の切り捨てか、と大学関係者は反発し、文科省は「誤解」を解くために大学に説明して回っている。

大学は「肩書きのもらえるカルチャーセンター」

 このように文科省の方針が混乱するのは、彼らがいまだに大学を教育・研究の場だと考えているからだ。

 受験戦争が激しいのは、大学教育を受けるためではない。「いい大学」に入ることが、大企業や官庁などに就職する条件だからである。入ってしまえば(特に文系では)ほとんど勉強しないし、企業も専門知識を問わない。

 学校には教育と選別という2つの機能があるが、日本の文系学部は「高価なカルチャーセンター」で、教育機関としての役割はほとんど果たしていない。学生の目的は「〇〇大学」という肩書きをもらうための単位取得である。大事なのは大学教育でも研究でもなく、大学入試なのだ。

 特に国立大学では、ペーパーテストだけで公正に試験を行うことに意味がある。だから東大が「大学ランキング」で世界の30位に落ちてもかまわないが、「人物本位」の入試を30%に増やすという方針は危険だ。東大の価値は、その入試にしかないからだ。

 日本のような長期雇用では、「はずれ」の人材をつかむことによる損失は大きいので、企業は何度も面接でスクリーニングする。しかし面接では基礎学力は分からないので、大学名が重要な役割を果たす。これが信用できなくなると、企業が優秀な人材を採用できなくなり、企業の人的資本が劣化する。

 特にAO入試や推薦入学などと称して情実入学の比率の高い私立大学は警戒され、国公立大学の評価が高い。ところが国立大学協会(国大協)は、書類や面接などで選考するAO入試や推薦入試などの合格者を入学定員の30%に拡大することなどを盛り込んだ「改革プラン」をまとめた。これは国立大学の唯一の取り柄を台なしにするおそれが強い。