9月のモスクワは、紅葉に包まれる穏やかな季節である。政治家はまだ夏の休暇の気分が抜け切れていないので、政治の世界も通常は平穏である。

 しかし、現在、ある人物の周りだけ暴風雨の状態となっている。その人物とは、モスクワ市長のユーリ・ルシコフ。政府系テレビ局を中心に、市長に対する非難、批判の嵐が吹き荒れているのだ。

 9月21日で74歳になったルシコフは、ソ連崩壊後のロシアをつくり上げた重要な人物の1人である。

 1991年8月の反共革命で、急進改革派として知られていた当時のモスクワ市長、ガブリール・ポポフの懐刀となる。その後、92年にエリツィン大統領によってモスクワ市長に任命される。93年10月にエリツィン大統領と反大統領派の議会が武力衝突した際にはエリツィンを支持した。その時から足場を固めて、現在まで市長のポストに就いている。

 この約20年の間に、モスクワは一変した。ソ連時代はモノトーンで活気がなく薄暗い街だったが、それが一転して高層ビルと現代的なオフィスが立ち並ぶきらびやかな首都となった。

 96年から2008年まで、ロシアのGDPは190%成長したが、モスクワの成長率は250%である。ロシアに流れてきた外資の半分はモスクワに回っていた。

 モスクワ経済を成長させたルシコフの行政手腕は高く評価され、モスクワ市民から人気を博した。96年、モスクワ市で初めての自由選挙が行われた時、ルシコフの得票率は95%あった。99年に69%まで下がったが、2003年にまた75%まで復活した。

汚職に手を染め、犯罪組織とも癒着?

 90年代半ばには、ルシコフはエリツィン大統領、チェルノムイルジン首相に次ぐ有力者と見られていた。モスクワの中心広場に、市の創立者であるユーリー・ドルゴルーキー大公の記念碑が建てられている。うまくいけば、そのすぐそばにルシコフの銅像が建てられていたかもしれない。

 ところが優秀な実力者であったはずのルシコフは、次第に数多くの政治的ミスを犯すようになる。

 まず、ルシコフはある時から思想を180度転換させた。改革派勢力と決別して保守派の陣営に回り、権威主義的な主張を堂々と展開するようになった。

 その上、94年頃から「マフィアとの関係が深い」と噂されるようになった。市長は自分の立場を利用してモスクワ市にある国有財産を手中に収め、マフィアとの関係も深めたとマスコミから報じられた。

 95年3月、ロシア公共テレビ社長のリスチエフが暗殺される事件が起きた。エリツィン大統領はリスチエフの追悼集会で、「モスクワ市と犯罪組織が癒着している」と批判し、市の検察および警察の長官を解任した。ルシコフはこれに抗議してエリツィンと対決姿勢を示した。