安保法案が参院本会議で可決、成立

参議院本会議場で、安全保障関連法案が可決され、拍手する議員ら(2015年9月19日撮影、資料写真)。(c)AFP/TOSHIFUMI KITAMURA〔AFPBB News

 長く無意味な「安保国会」がやっと終わった。日米の防衛協力体制をどう変えるかという本質的な論議なしに些末な憲法論争に終始し、最後は与党の単独採決を妨害するプロレスごっこで終わったが、法案は修正さえされなかった。

 半世紀前の60年安保でも、同じような騒動が起こったが、スケールは今回よりはるかに大きく、その結果、安保改正は実現したが岸信介内閣は倒れた。今回は安倍首相は自民党総裁に再選され、その政権基盤は盤石だ。プロレスに負けたのは野党である。

憲法を棚上げした「60年体制」

 民主党内には解党論も出て、維新の党も橋下徹氏などが離党して分裂し、共産党は反安保の統一戦線を組んで来年の参議院選挙で候補者調整を行う「国民連合政権」を呼びかけた。これはいつか来た道である。

 60年安保で岸退陣を「勝利」と総括した社会党は、反安保・反自衛隊の左派路線を打ち出して社共共闘に傾斜し、右派は民社党などの形で離党した。その後は都市部で革新自治体が誕生したが、国政では、自民党の一党支配は変わらなかった。

 1960年の総選挙で自民党は約300議席を得て圧勝し、その後も衆参ともに単独過半数を維持した。池田勇人首相の提唱した「所得倍増」を実現する高度成長の中で、人々の支持は「富の分配」を行う自民党に集まったのだ。

 自民党内でも、安保のような危険な問題を避け、急増する税収をばらまいて集票する金権政治が主流になった。それを代表するのが田中角栄である。彼は地方へのバラマキ公共事業で土建業界を集票基盤にする一方、福祉充実を求める都市の有権者もバラマキ福祉で懐柔した。

 他方、社会党は中選挙区で1議席を取れば100議席程度は取れるので、「非武装中立」のきれいごとで固定客を集める万年野党になった。このように憲法問題を棚上げして万年与党と万年野党の固定化した時代を、北岡伸一氏は60年体制と呼んでいる。