政府・与党は安全保障関連法案について、当初予定していた9月11日の参議院採決を延期する方針だ。採決しなくても14日を過ぎると60日ルールで、衆議院の3分2の賛成で再可決できるが、参議院自民党は「60日ルールの適用は避けたい」としている。
いずれにせよ法案の成立は確実で、問題は野党と妥協する「形づくり」の最終局面だが、国会の外ではまだ法案に反対するデモが続いている。彼らは「60年安保のように安倍を退陣させよう」と息巻いているが、かつての安保闘争はこんなお遊びではなかった。
なぜ「安保改正」に反対するのか知らなかった全学連
もともと安保条約の改正は、1952年の旧条約でアメリカが日本国内に自由に基地を設置できる一方、日本を防衛する義務が明記されていない不平等条約だったので、それを改めるものだった。
改正第5条には「日米いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、共通の危機に対処するように行動することを宣言する」と書いてあるだけで、厳密にいうと防衛義務の規定はないが、それまでに比べると双務的な形になった。
ところがなぜか、この改正に反対する運動が起こった。これを当時の全学連主流派の幹部として指導していた西部邁は「安保条約の条文は読んだことがなかったので、何が悪いのかは知らなかった」とのちに言っている。
ところが1960年5月19日に改正条約が衆議院で単独採決されたのをきっかけに「民主主義を守れ」という運動が急に盛り上がった。6月には社会党・総評の国民会議の統一行動に560万人が参加して国鉄が運休し、ほとんどゼネストの状態になった。
国会デモのピークとなった6月15日には33万人(主催者発表)のデモ隊が国会を包囲し、デモ隊が将棋倒しになって東大生の樺美智子が圧死し、1000人以上が重軽傷を負った。新条約は6月に自然成立したが、岸内閣は総辞職した。
その理由を岸信介は「樺美智子の死亡事件で、その後に予定されていたアイゼンハワー米大統領の訪日を断念した責任をとった。このように警備体制が脆弱では、大統領やそれを迎える天皇に危害が加えられたら取り返しがつかない」と回想している。
岸退陣後の池田勇人首相による総選挙では、自民党は296議席で圧勝した。今回も国会デモが始まったあと安倍内閣の支持率は上がり、自民党の総裁選挙で安倍総裁の再選は確実だ。マルクスは「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は笑劇として」と書いたが、今回のデモは笑劇にもならない。