安倍首相が8月15日に出す予定の「戦後70年談話」が、さまざまな論議を呼んでいる。1995年に村山首相が出した戦後50年談話の「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という文言を変えるかどうかに、マスコミの関心が集まっている。
とりわけ熱心なのが朝日新聞で、「侵略を謝罪せよ」というキャンペーンを張っている。慰安婦騒動の失敗を挽回しようとしているのだろうが、ここには慰安婦問題よりはるかに大きな欺瞞がある。かつての戦時体制を立案したのは、朝日新聞なのだ。
朝日新聞は単なる共犯者ではない
戦時中に新聞が戦争をあおったことはよく知られているが、これは治安維持法や検閲で取り締まられたためではなく、新聞を売るためだった。1931年の満州事変をきっかけに新聞はそろって主戦論に転換し、各社は多くの従軍記者を派遣して号外を出し、戦争報道を競った。
東京朝日新聞も主筆の緒方竹虎の指導のもと「事変容認・満蒙独立」に舵を切り、最後まで残った大阪朝日も反軍派が処分されて容認派に転向した。このとき朝日の主導権を握ったのは、論説委員の笠信太郎などの「革新派」で、彼らは岸信介などの革新官僚と連携して、日本を国家社会主義に導いた。
陸軍の中でも、東條英機をはじめとする統制派は計画経済を志向していたので、緒方や笠などの「リベラル」は彼らと連携し、革新官僚や陸軍統制派を通じて近衛文麿との関係が強まった。
政権基盤の弱かった近衛は、新聞を味方につけたかったので朝日に情報をリークした。朝日は「一国一党型新党で日本を革新すべきだ」と主張し、緒方は大政翼賛会の設立委員になった。近衛新体制のイデオローグとして「ナチスを模範にして経済を国家統制せよ」という論陣を張ったのは笠だった。
14年にわたる長期の戦争を、軍部だけで続けることはできない。膨大な人員と資源の動員を可能にしたのは、革新官僚のつくった国家総動員法に代表される戦時体制であり、それを立案したのは笠だった。彼を先頭にしてナチスを模範とする総動員体制を立案した朝日新聞は、軍国主義の中枢だったのだ。