羽田発の日本航空(JAL)機は那覇、高雄(台湾)上空を通過して南シナ海を横切り、ホーチミン市(ベトナム)のタン・ソン・ニャット国際空港に直行する。
深夜に羽田を発った乗機は、かすかに明るくなる朝方に南シナ海上空を飛ぶ。ここでは中国が複数の岩礁を埋め立て、軍事拠点化しようとしており、ベトナムやフィリッピンなどと争っている。
「場合によっては・・・」などとあらぬ思いが浮かび、眠気まなこながらも救命胴衣に目をやったりしているうちに着陸態勢に移った。
アンコール遺跡群のあるシェムリアップへは、アンコール航空のフライトアテンダントに合掌の挨拶で迎えられて飛んだ。高度を下げるにしたがって、トンレサップ湖周辺の河川が目に入り、水上生活者と思われる家や船らしきものが見えてきた。
アンコール・ワットは独立した1つの寺院であり、アンコール・トムは王宮や多数の寺院を包含した寺域で、カンボジアの国家的重要行事が行われる聖地である。前者を東大寺に、後者を伊勢神宮に準えた研究者もいる。
自然との共生と言うけれど
内乱を終結させる和平の儀式では、シアヌーク国王夫妻がアンコール・トム内のバイヨン寺院の木の下で小一時間ほど額づいていたと言われる。三島由紀夫の戯曲『癩王のテラス』の「ライ王」もこのアンコール・トム内にある。
アンコール遺跡群には壮大な絵物語が画かれている。当時の生活風景などもあるが、仏教徒とヒンズー教徒の闘いの歴史でもあり、仏教寺院として造営された穏やかな仏像の顔などがヒンズー教徒によって削り取られるなど、痛々しい姿も散見される。
遺跡の保存は自然との共生でもある。遺跡を取り巻いているガジュマルなどの大木の根はベン・メリア遺跡(写真1=冒頭)を破壊し尽くし、見るものを驚かせる。しかし、観光資源としても重要であるということから、木々は成るべく取り除かずに共存するらしい。
遺跡の石材も脆いが、アンコール遺跡群の至る所に見られる光景は積み上げられた石の間に芽を出した木が鳥の糞を肥料に根を張り大木となって覆いかぶさった姿である。これでは修復された遺跡も、経年とともに崩壊することは必定かもしれない。
日本をはじめ、仏独伊蘭米印中など多くの国の協力を得てアンコール遺跡一帯の修復が行われてきた。日本はアンコール・ワットの修復を2010年頃行なっていたが、現在は終了している。
筆者らが見たタ・プロムではインドが鉄パイプで大きな櫓を組んで修復を行っていた。しかし、元の形態を残さないような修復法で一時は退去を言い渡されたとか。