「われら富士山、他は並びの山」――。東大法学部卒のエリートが集う霞が関で、財務省は大蔵省時代から他省庁を見下ろしながら「最強官庁」を自任してきた。

 一体、その権力の源泉は何なのだろうか。経済ジャーナリストの岸宣仁氏は近著『財務官僚の出世と人事』(文春新書)の中で「日本一熾烈な出世競争」の実態を炙り出し、財務省が誇る比類なき組織力の秘密を解き明かした。

 1981年以来、岸氏は財務省内で「ワル」と呼ばれるエリート中のエリートの「素顔」に迫り続け、それを克明に記録した取材メモは実に1000枚を数える。本書には30年間に及ぶ取材の蓄積が一気に吐き出されており、経済記者や経済ジャーナリズムを志す学生にとって必読の「教科書」となるだろう。

 JBpressは岸氏にインタビューを行い、「最強官庁」の過去、現在、未来を存分に語ってもらった。(2010年8月19日取材、特記以外の写真は前田せいめい撮影)

政治家が財務省を怖れる理由とは?

 JBpress 戦前・戦後の大蔵省時代から民主党に政権交代した今に至るまで、なぜ財務省は霞が関で群を抜く権力を保持しているのか。

岸宣仁氏/前田せいめい撮影岸 宣仁氏(きし・のぶひと)
経済ジャーナリスト、日本大学大学院知的財産研究科講師 1949年埼玉県出身 73年東京外語大卒、読売新聞社入社 横浜支局を経て経済部 大蔵省、通産省、農水省、経企庁、日銀などを担当 91年退社、知的財産権や技術開発、雇用問題を中心に執筆活動 主な著書に『知財の利回り』(東洋経済新報社)、『デジタル匠の誕生』(小学館)、『税の攻防 大蔵官僚 四半世紀の戦争』(文藝春秋)など 最新刊は『財務官僚の出世と人事』(文春新書)

 岸宣仁氏 「財金分離」で大蔵省から金融監督庁(現金融庁)が切り離された1998年の前と後で事情は異なる。私が(読売新聞経済部記者として)現場で取材していたのは98年以前なので、まずはそれを前提に話したい。(筆者注=2001年に大蔵省は財務省へ移行)

 予算編成権、徴税権、金融行政の3つを独占していたことが、大蔵省の権力の源泉と言えるだろう。官でも民でも組織の要は、人事と予算に尽きる。日本のあらゆる組織の中で、国家の予算を握っているのは大蔵省だけ。その上、徴税権と金融機関に対する監督権も併せ持つのだから、他省庁は足下にも及ばなかった。

 今でも財務省が政治に対し強さを発揮できるのは、徴税権を持っているから。永田町が財務省に一歩引くのは、「国税庁を通じてカネの出入りを全部見られているかもしれない」という恐怖感を抱くためだ。検察とは違う意味で「一目置かざるを得ない」という力が徴税権にはある。

 (大蔵省の記者クラブである)財政研究会に初めて赴任した際、ある経済部の先輩が「大蔵省の(国会対策などを担う)文書課を回っていれば、日本の情報が全部入るぞ」と助言してくれた。最初は意味が分からなかったが、取材を続けているうちにその言葉の重みをひしひしと感じるようになる。

 例えば、1985年8月の三光汽船の事実上倒産(筆者注=負債総額は当時の戦後最大)。もちろん監督官庁は運輸省(現国土交通省)なのだが、そこと大蔵省銀行局のどちらに情報が早く入るかを私は追い掛けていた。

 その結果、三光汽船による会社更生法の適用申請は、運輸省の担当者より大蔵省銀行局の方が間違いなく早くキャッチしていた。同社のメインバンクである大和銀行(現りそなホールデングス)から銀行局に情報が入り、それが即座に文書課へ降りてくる。政治や経済に関する日本の情報は全て大蔵省に入っていたと言ってもよいだろう。

 金融行政が外れた1998年以降、大蔵省の権力の源泉は若干弱くなる。だが今でも財務省と金融庁の人事交流は続いているし、もちろん予算編成権と徴税権は健在だから、2009年9月の政権交代までは根本的な強さに変わりはなかった。

エリート同士が腹を探り合う予算編成

 ━━ 財務省は予算編成権をどう行使しているのか。

 岸氏 「財務省VS政治」という図式ではなく、まずは「財務省VS他省庁」と見た方がよい。予算編成というのは、東大法学部卒業者が主体の財務省と他省庁のエリート同士による腹の探り合い。他省庁では予算を付けてもらえれば、出世の道が開かれてくる。逆に予算を切られると、「あいつはダメ、力がない」と烙印を押されてしまう。