この原稿はまたもや早朝ワシントン市内のホテルの一室で書いている。前回7月の米国出張では当地から見た中韓首脳会談について書いた(「中国の圧倒的存在感と苦悩する韓国~中国株式会社の研究・250」)。あれから3か月経った今回は、ズバリ、米中関係の現状に焦点を当て、この米国最大の政治の街で感じたままを書いてみたい。
楊潔篪国務委員の訪米
いつもの通り、事実関係から始めよう。
今回筆者のワシントン入りは10月20日だったが、その直前には中国国務院で外交を担当する副首相級の楊潔篪・国務委員が訪米していた。
目的は11月に北京で開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の際予定される米中首脳会談の準備だという。
ジョン・ケリー米国務長官は楊潔篪国務委員をマサチューセッツの自宅に招き、10月17~18日の両日会談を行ったそうだ。
報道によれば、楊潔篪国務委員は「米中両国は見解の相違を乗り越え、イスラム国やエボラ出血熱などの世界規模の脅威に協力して対処する必要がある」などと述べたらしい。まあ、そんなところだろう。
楊潔篪氏は1950年5月、上海生まれ。文化大革命で大学教育の機会を一時奪われたが、1971年の共産党入党後に彼の人生は一転する。語学が堪能だった同氏は1973年に外交部負担で英国留学、帰国後もそのまま外交部に入り、英語の通訳官として活躍し始めたからだ。
1980年代以降はワシントンの中国大使館での勤務が長く、北京でもほぼ一貫して北米畑を歩んだ。
1998年には47歳で外交部副部長、2001年には50歳で駐米大使となっているから、中国外交部でも有数の米国通だろう。日本語が専門だった現在の王毅・外交部長とは正反対のキャリア形成である。
楊潔篪国務委員は20日にホワイトハウスのスーザン・ライス国家安全保障担当大統領補佐官、チャック・ヘーゲル国防長官とも会談した。