住民投票を間近に控え、スコットランド独立を巡る世論に動きが出ている。「賛成」が増加傾向にあり、初めて「反対」を上回ったとの調査結果を示すメディアも出現しているのだ。

現実味を帯び始めたスコットランド独立

ハドリアヌスの長城の残骸 ケルトの侵入に悩まされていたローマ帝国が造った、スコットランドとイングランド境界近くの壁

 そんな現実を前に、英国政府は、「反対」を選べば税制など自治権を拡大する計画がある、と表明。北海油田という経済的切札を持ち、領土の3割、人口の1割を占めるスコットランドが英国にとどまるか否かは、18日当日の浮動票の行方次第のようだ。

 かつてその地には「スコットランド王国」があった。

 13世紀末、10年余りを費やしウェールズ公国を征服したイングランド王エドワード1世は、フランスの一部の併合を画策した。しかし、フランスはスコットランドと同盟を結んだ。イングランドはスコットランドに侵攻し、主権を奪い、重税を課した。

 公開当時、ナショナリズムを後押ししたとも言われる映画『ブレイブハート』(1995)でメル・ギブソンが演じたウィリアム・ウォレスは、そんな時代のスコットランドの英雄。映画でも描かれた1297年9月11日のスターリング・ブリッジの戦いは、兵力差著しいイングランド軍を撃破した、スコットランド人にとって歴史的に意義深い勝利である。

 フランスはイングランドと休戦し、スコットランドとの同盟を破棄した。ウォレスは抵抗を続けたが、1305年、処刑された。そんななか、反撃に転じたスコットランドは、のちの国王ロバート・ザ・ブルースの活躍などで、1328年、自由を回復した。

クロムウェル

 1603年、生涯独身だったエリザベス1世が他界し、スコットランド王ジェームズ6世が、ジェームズ1世としてイングランド王となった。同君連合の関係となった両国。

 しかし、イングランドで議会派と王党派の内戦が始まり、ジェームズ1世の息子チャールズ1世は処刑され、戦いのなか実権を握っていたオリバー・クロムウェルの下、イングランドは共和国となった。

 議会派であり清教徒であるクロムウェルは、対立する王党派でありカトリックの拠点でもあるアイルランドに侵攻した。その端緒となった1649年9月11日のドロヘダ攻城戦は、虐殺とも評される酷い戦いだった。

 1653年に護国卿となったクロムウェルは、国のことを考え、制度の狭間で葛藤し続けた男として映画『クロムウェル』(1966)に描かれているが、歴史的評価はまちまち。